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名菓アカデミズモとかわいそうな牛 このページをアンテナに追加

アカデミズモは、アカデミズムの裏庭。そこには亀たちが棲んでゐます。



もともとは「京都アカデメイア」スタッフのグループブログの一つということで始めたブログですが、現在は個人的な雑記として用いています。心にうつりゆくよしなしごと等を記録することとします。

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2011-09-17

卒業式まで死にません

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卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)


書籍化された南条あやの日記を、今更読みました。

文章ほんまに上手いなあ! そして、同世代だー! とおもた。

私より一学年下なのかな?

テレホーダイ、MD、Coccoのセカンドアルバム、殺人鬼役の小泉今日子PHSエンコー(流行語としての)、女子高生ブーム、インターネット初期、90年代の終わりからゼロ年代の足音。

自営業の娘というところも一緒で、ああ、わかるわかる!と思った。家で親が始終お金のことでいらいらしてたり暗い顔で愚痴ってたり、それも私を養うためなんだ!って思うのってほんま精神衛生上悪いよね(まあべつに自営業には限らないことだが、常にその事実を眼前に見ていなければならないし、また自分も半分従業員=親の部下 みたいな感覚がある)。そんなにぐちぐち言うならあたしに援助交際でもさせればいいだろ! みたいなことをあやちゃんも書いてたけど、わたしもよくそー思った。(当時ミヤダイ先生は援助交際超OK!というてたけど、だがそのように「エンコー」について考えるときの自分のむしゃくしゃした気持ちはけして健全ではなかったな、そこんとこどうよ、と今になっておもう。まあこれは余談。)



また、彼女の、高校生(女子高生――当時は「JK」などという言い方はまだなかった)でなくなってしまうときの不安というか、拠り所のない気持ち、その記述を読んで、自分が高校生でなくなるときの気持ちをおもいだした。

私など、「女子高生」という肩書によって何か実質的に得をした記憶もない醜い日陰の女子高生だったが、それでも、「女子高生」でなくなることで自分の付加価値がひとつなくなるような心もとない気持ちがしたもんだ。わたしの場合、(あやちゃんと同様、)卒業後の進路が決まっていなかったから余計、ということもあった。(ちなみに現在久方ぶりの「卒業」を前にしているわけですがやはり同様の状況。)

彼女の自傷や死の原因をあれこれ推測することはできない。が、皆が皆同じ年齢で同じこと(就職とか進学とか)をしないといけないというこのシステム、そこからちょこっと外れたり乗り遅れたりするとひどく道を外したかのように感じ(させ)られてしまう、というこのいきぐるしさがなかったらどーだっただろうか? とか思うんである。


とはいえ、彼女をダシにして社会のシステムについてあれこれ言う、ということがなんとなく憚られるのはなんでだろう。

といえば、彼女の日記が、まったく隙のないくらい、読み手を娯しませるエンターテイメントとして書かれているからであると思う。

もちろんどんな書き物でも、読み手に向けて書かれているからにはエンターテイメントという側面があるのだが、彼女のエンターテイナーぶりは徹底している。その文体は、読み手に語りかけていながらも読み手に救けを求めたり同情を欲したり馴れ合ったりする風がなく、書き手/読み手 ががっちり固定されている感じがする。ショーなんである。リスカODの嵐の中でしかし、「こういうことを期待してるんでしょ? こういう物語が読みたいんでしょ?」と、ショーをプロデュースする彼女の筆致は非常に冷静。


まあ先生(注:医者)はこのような状態の方が診察楽でお金が取れていいんでしょうけど、読者の皆様はもっと荒廃した私の精神状態を期待なさってる方もいらっしゃるんじゃないかと思います。やーん、また静脈切断ぶっしゅー、とかエヘヘ、援助交際初めて理想の父親像を探しに来ます、とか (249頁)



一介の読み手である者がこのショーの外側に出て(出たつもりで)、「この人は自分では気づいてなかったかもしれないがこういうことに苦しんでいたのだ」とかなんやかんや分析するんは、なんかどうも滑稽になってしまうんである。(香山リカさんの解説も、なんだかすごく書きにくそうだ。)




あと、書籍の形で今読めるものには、おそらく何重にも編集の手が加えられているゆえ、彼女の書いたこと/書かなかったことの全貌が正確には分からない、ってこともある。

当初彼女の日記はあるライターのサイトの一コーナーとしてそのライターによってupされていたし(この過程で削除や編集もあったようだが真偽のほどは不明・ライターの女性はウェブ上では行方不明らしい ――現在、彼女のサイトの残骸の周辺を徘徊してみると、なんかえらいことになっていて、ネットとは!ゼロ年代とは!ってなった)、さらに書籍化される過程で、お父上および編集者によって大幅に編集されているようだ。

(これから文学部とかでも、書籍として出版された文学作品でなくてネット上に発表された作品で卒論やら書く子が増えていくんとちゃうかな、と思うのだが、異本がたくさんあって作者が一人とは限らなくて、っていう、近代文学よりむしろ古典文学の研究方法に近づくんでないかな、大変そう、とかふとおもう。)



ところで、南条あや文体って、誰かの文体に似てると思ったら菜摘ひかるだ。似てませんか? 写真で見る限り、お顔も少し似てるように思う。が、何より似てるのは、ウェブ上の日記でありながら、徹底した読み手へのサーヴィス精神、エンターテイメントとして立つ姿勢。

菜摘ひかる、20代半ばくらいの頃に死ぬほど読んだが、最近読んでいない。彼女の文章を読むと、彼女の文章を読んでいたころにくらべて、世界への怒りみたいなもんが減退してしまったことを感じ、生き延びてしまった自分、を思う。世界への怒りというか、当時のわたしの「世界への怒り」の半分は「男の性欲への怒り」でできていたのだが、なんかそんなんがなくなってしまったいいか悪いかはまた別の話だし脱線したので終わる。




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気になる本がいろいろ出ている。読みたい本メモ。






『諸君!』『正論』の研究――保守言論はどう変容してきたか

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南沙織がいたころ (朝日新書)

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情報時代のオウム真理教

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アンアンのセックスできれいになれた?

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オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義

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たまにはシムプルなビラもいいかも。

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ゲスト



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