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アカデミズモは、アカデミズムの裏庭。そこには亀たちが棲んでゐます。



もともとは「京都アカデメイア」スタッフのグループブログの一つということで始めたブログですが、現在は個人的な雑記として用いています。心にうつりゆくよしなしごと等を記録することとします。

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2014-12-31

アルバム『PAN』再訪(20年前について)

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去年に、友人のバンドが出るというので、ブルーハーツ縛りのコピーバンド大会に行った。バンドが10組くらい出るので、コピバンばかりそんなに観てもなぁ……と思っていたのだが、演奏者たちの思い入れが伝わる良いイベントだった。フロアの客たちが

僕たちを縛り付けて一人ぼっちにさせようとした

全ての大人に感謝します

1985年 日本代表ブルーハーツ

と喉を涸らして大合唱するのを見て(というか私も合唱に加わってしまっていたのだが)、「何やってるんやろ」と思いもした。われわれはもう既に「大人」やし、今は1985年じゃないし、そもそもお前らブルーハーツやないがな! そうだ、1985年からもう30年経っていて、48億のブルースは70億に膨れあがっているわけで、でも今でもまったく「今」のものとしてその音楽を愛してる人らがこんなにいるんや、ということが、なんだかとても不思議な気がした。

そのイベントで印象的だったことがあり、ブルーハーツメンバーのコスプレで出てきたバンドがあったのだが、演奏中にベースの人が上着を脱ぐと「幸福の科学」Tシャツが……!という小ネタがあったのだった。

勿論ライブハウスは笑いに包まれたのであるが、「ああ、こうして笑いに昇華せなあかんほど、ファンの間では未だもってトラウマなのだ!」と私は思ったのだった。ファンの間で語られるブルーハーツ解散理由のひとつは、ベースの「河ちゃん」の宗教問題だとされている。



私は14歳の頃、ブルーハーツが好きになり、それから一年くらい彼らのCDばかり聴いていた。

それまで、「リンダリンダ」などが流行っていることは知っていたけれど、クラスのイケてる子たちが聴くようなイケてる音楽なんだと思っていた。でも、ギターのマーシーのソロ『RAW LIFE』を聴いて詩情とユーモアアイロニーに衝撃を受け、バンドのほうも聴き始めたのだった。

STICK OUT』『DUG OUT』はぎりぎりリアルタイムで聴くことができた。テスト期間で午前中に下校できた7月10日、レコード屋に寄って買って帰った『DUG OUT』を聴いたときの幸福感は、今でも覚えている。ヴァージニア・ウルフの瑪瑙のボタン。

でも、『DUG OUT』を聴いたとき、子供心にも「このバンドは解散するんじゃないかな」とも思ったのも覚えている。こんな傑作を作ってしまって、この次に何をするのかまったくイメージできなかったのだった。でも、彼らのことだから、また何か新しい面白いことをするんだろう、とも思った。


それから2年のブランクを経て、解散アルバム『PAN』が出たのは1995年のことだった。

1995年の春のことはよく覚えている。地下鉄サリンが撒布され、オウム真理教強制捜査が入った。その日からマスメディアは、オウム一色になったのであった。

ご多分に漏れずオウム情報の中毒になった私は(ちなみにこのオウム体験はのちの自分史に影響を及ぼし続けるのだがそれは今は措いておく)、日々オウム情報を求めて本屋に通っていたのだが、ちょうどその頃、ふらりと入った本屋で、ブルーハーツのインタビューが載った音楽雑誌を見つけた。その頃はもう、以前ほど、彼らの音楽ばかり聴くという状態ではなかった(し何よりもオウムのことで頭がいっぱいだったのだが)、「復活!ブルーハーツ」の文字に、あ、解散するのかと思ってたけどまた何か始めるんだー、と頁を繰った私が目にしたのは、思いもよらない発言だった。

「僕凄い信じてるものがあって。まあそれは大川隆法幸福の科学っていう宗教団体なんですけれども」

ロッキングオンJAPAN、1995年6月号)


!??

ベースの河ちゃんのインタビューであった。この発言に対してインタビュアーからの直接的なつっこみは何もなく、そのまま話が流れてインタビューは閉じられていたので、それが、冗談なのか本当なのか分からないままであった。

幸福の科学って、「科学」って言ってるけどなんか胡散臭い宗教団体だよねえ? あの『太陽の法』のやつだよねえ? くらいの認識はあり、またオウム報道を通じて、大川という人が麻原と前世合戦を繰り広げたとかそういうことを耳にしてはいた。まさかあのバンドのメンバーが、そんな胡散臭そうなものを信じるとは思えない。なんといっても「神様に賄賂を贈り天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか?」と歌った人たちである。が、冗談を言っているふうでもないし、だいたいこの時期にそんな冗談を言う理由もない。(後で知ったところによると、既にファンの間では彼の信仰は有名だったらしいが、私はライブにも行ったことがなかったしファン友達も身近にいなかったので知らなかった。)


その半月ほど後だったであろうか、文通(!)をしていたファンの子から、「ブルーハーツ解散するんだって」とわざわざ電話があった。私は、どっぷり聴いていた2年前は、「このバンドが解散したら自分はどうなってしまうのであろう……」とまで思っていたのに、さほど驚かず、「そうかあ」と思った。

雑誌の翌月号は、ブルーハーツ解散号であった。巻頭インタビューで河ちゃんは、「解散にあたってメッセージ」を問われ、こう答えていた。

インタビュアー 「で、ファンの人にメッセージをくれって言ったらヒロトマーシーもドライなんだ。あったかいのをお願いします。」

河口 「……まだ先のことは全然決まっていない。でもどうするか考えないとね、無職ですから(笑)。ただ一番みんなに伝えたいことっていうのは、やっぱりいまお釈迦様がこの地上に降りられてると、仏陀が下昇されてってことかなぁ(笑)。それも、この日本で。だからそれが大川隆法大先生であり、ほんと先生に出逢えて……感無量です! 感謝してます、ありがとうございます、としか言えないですね(笑)」

ロッキングオンJAPAN、1995年7月号)

そこでインタビューは終わっていた。

「本気やったんや……」と私は思った。



新しいアルバム『PAN』をとりあえず発売日に購入はしたものの、いつもの、新しいCDを再生するときのわくわく感はまるでない、変な感じだった。

歌詞カードを開いてみると、メンバー全員で写っている写真は一枚もない。メンバーそれぞれの写真は、それまでとファッションや写り方も微妙に違うようで(マーシー除く)、なんだか知らないバンドのようだ。河ちゃんページには、おそらく宗教的な主張を表わすなんだか不気味な写真もあった(当時は分からなかったが、今見ると、マルクス主義ダーウィン主義への批判象徴的に表現されている写真である)。

それまで慣れ親しんで聴いてきたバンドが急に別ものになったようなよそよそしさを覚えた。

オウム事件の中での離人感とあいまって、あの変な感じは未だに曰く言い難い。


『PAN』は、名義は「ブルーハーツ」だけれども、四人で演奏している曲は一曲もない。

四人がそれぞれ個別に作詞作曲し、バンド外のメンバーと演奏し、それぞれがヴォーカルをとった曲を寄せ集めたアルバムである。(ジャケットはビートルズホワイトアルバムを模してある。)

インタビューによると、もう四人で演奏する気にはなれないもののレコード会社との契約が残っていたために、こういう形で作らざるをえなかったようだ。


一曲目はいきなりドラムの梶くんの「ドラマーズ・セッション」で始まる。その名の通り、ドラマーたち(当時の有名ドラマーが集められている)のセッションである。これについてのおもしろ発言として、やはりブルーハーツファンであった友人は、「今やったら面白さが分かるけど、俺、当時は音楽っていうのはメロディがあって歌があるものやと思ってたから、『いつ歌が始まるんやろ?』て思いながら7分聴き続けてた」と語っていて笑った。たしかに私もそうやった! 二曲目はヒロトの曲「ヒューストンブルース」。これは、当時ヒロトが別バンドで演奏していた曲で、今聴くと凄くかっこいいのだが、当時、ブルーハーツヒロト曲には無かったパターンの曲であった。マイナー調でブルースぽく、やばい感じ。ハイロウズを経た後では、「ああこういうのがこの人は好きなんだな、ブルーハーツで見せてたポップ性は彼の一面に過ぎないんだな、こういうのがやりたかったんだな」と分かるのだが、それまでのブルーハーツのイメージと違い過ぎて、これもなんだか分からなかった。とにかく「なんか暗いし怒ってる!」という印象だけであった。

そして、河ちゃん以外の三人の曲が三曲ずつ織り交ぜられながらアルバムは進み、最後に河ちゃんの曲だけ四曲まとめて収録されている。当時の私はもう、それらの楽曲群に対して、脳の処理が追いつかなかった。

こんなめちゃくちゃなアルバムを、当時多くの中高生ファンたちが買って聴いたのかと、今思えばシュールすぎる。おそらく多くの人が、私や友人のように、なんかわけのわからんままそっとCDを抜き取り、しまい込み、ときどき「歩く花」(※アルバム中で唯一ブルーハーツぽい曲)だけを聴くために取り出すのみになったであろう。こうして『PAN』は、みんなのトラウマとなった。


で、今年、そのトラウマ語り会をしたことをきっかけに、『PAN』を改めて聴いてみた。

結果、当初聴いたときよりも更に、めちゃくちゃなアルバムであることが分かった。

こんなアルバムは世間にそうはあるまい!!


まず、ヒロト曲は、今聴くとめっちゃかっこいい。「ヒューストンブルース」は当時は分からんかったけど、アルバム中一番かっこいい。だが、何故、「ヒューストンブルース」(やばくてかっこいい)「ボインキラー」(やばくてかっこいいんだけどふざけてるようにしか聞こえない)「歩く花」(急にほのぼのとして往年のブルーハーツ風)の三曲をセレクトしたのか、意味が分からない。どういう方向性を目指しているのか、見えない!

梶くんの曲は、微笑ましいしドラムのアレンジなどはそれまでのブルーハーツになくて面白いと思う。でも、普通なら世に出ないレヴェルと思われる。

マーシー曲は、この人だけがいつもの安定感であった。それまでもソロアルバムを出していたからか、切なさを湛えた独自の世界観で完結していて、ブルーハーツぽくはないけど普通にいい。今回、指摘されて初めて、「もどっておくれよ」(終わった恋への後悔の歌)→「バイバイBaby」(「思い出だけがきらめくようじゃ白けた人になりそうだ」)→「休日」(「いつの日かこの街を出ていく僕等だから」)と、解散を受け容れるような曲順に配列されていることに気づいた。別に意図してないのかもしれないけど。ストリングスのアレンジも、今聴くととてもきれいでぐっとくる。ただし、このアレンジに金をかけて赤字を出したため、低予算で仕上げた河ちゃん(※幸福の科学の人の助けを借りたから)のわがまま(自分の曲だけ最後にまとめて入れたいという希望)を受け容れる羽目になったという説があり(wikipediaによる説なので真相は不明だが)、友人曰く「『戦闘機が買えるくらいのはした金ならいらない』って歌ったバンドの最後が!金に勝てへんかったとは!」。


そして、最後にまとめられたその河ちゃん曲。

当時は脳がシャットアウトしてしまっていたし、「そうは言ってもさすがに、ブルーハーツ名義で出す音楽にそんなこと(教義云々)は反映させないであろう」という思いもあったのだが、今聴くと、あまりにもあんまりである!!


宗教音楽風のイントロ(なんでこう荘厳な感じになるのであろう)で始まる「幸福の生産者」では、

Right Right Right

Right Mind


世界中の心に 今も輝いてる

誰もが皆憧れてる 幸福の生産者


奪い合うものには後に 悲しみが待ち受けている

取り戻そう叡智を この世に神の夢

遥か彼方に超える夢 (念いに)涙は溢れてきた

とか歌っている。

まず「叡智」という言葉がブルーハーツの歌詞に出てきたことに驚きを覚えたが、それどころではない。当時は「いや、音楽を創り出してファンを幸せにしてきた自分たちのことを歌っているのかも!」と解釈しようとがんばっていたものだが、いやいや、「幸福の生産者」って明らかに隆法やん。「誰もが皆憧れて」ねえよ!!

「Good Friend(愛の味方)」はなんかねばねばしたヴォーカルがちょっとむかつくものの、ギターソロはかっこいいし、アップテンポでいわゆるブルーハーツパブリックイメージっぽい曲。だが、

最悪の事態にならなけりゃ 君は目もくれない

死んだらそれで 何も無いさと わかったふりをする

わかったふりして 暮らしても ふりに振り回わされ

廻るはずの大切なことを 止めてしまうよね

説教!!

おそらく、他のメンバーに対する説教!

(ちなみにずっと、「廻るはずの大切なこと」て何だろうと思っていたが、今回「輪廻」のことか!と気づいた。ああーー)


で、これに対して「ヒューストンブルース」は、

天国なんかに行きたかねえ

神様なんかに会いたかねえ

である。ロックの常套フレーズとはいえ、当時の別バンドでのライブverを聴いているとこの部分は本当に怒った声で叫ぶように歌われており、ぞわぞわする。

さらに、「Good Friend」が、

信じてゆく心 この世 あの世 つらぬいて

と歌えば(これも今回知ったが「この世とあの世を貫く幸福」は幸福の科学のキャッチフレーズである)、「ヒューストンブルース」は、

生れ変わったら ノミがいい

生れ変われるなら ノミにしてくれ

である。

一枚のアルバムの中でメンバー同士で大喧嘩!! ラモーンズKKKどころの喧嘩ではない。こんなアルバムは滅多にないのでないか?


勿論両者とも「これは○○のことを歌った」などとは明言していないし、たとえばインタビューしてみたならきっと、「音楽と実際の私生活は関係ない」と言うだろう。当人たちのキャラも、思想の是非をめぐって喧嘩しそうなキャラではない。解散も、当人たちによって「宗教が原因」と語られているわけではなく、単に「このバンドでこれ以上のことができるとは思えないから」というように語られており、それは別に綺麗事でなく、本当に当人たちの感覚としてはそういうことなのだろうと思う。

だが、人情として勘繰らずにはいられないし、今聴くといっそう明らかに、もう殴り合いにしか聞こえない。こんなものが、「リンダリンダ」や「トレイントレイン」といった、ポップなヒット・ナンバーを産んだ「ブルーハーツ」の名義で出されていたのだと思うと、今となってはシュール過ぎて、面白くてならない! 前衛的すぎるよ……


さらに喧嘩は場外乱闘に至り、音楽雑誌に寄せた新アルバムについてのコメントの中で河ちゃんが

ヒューストンブルース」は、神や輪廻を信じないというヒロトの無知な部分によって作られた曲であり、ファンの皆さんに申し訳ない。

といったようなコメントを寄せているのを本屋で立ち読んだ私は、いったい何が起こっているのか理解できず、事態についていけないまま、雑誌を棚に戻しふわふわと本屋を去ったのであった。


「さよならする、ダサい奴らと」と歌ってザ・ハイロウズがデビューするのは、麻原も逮捕されてずいぶん経った、その年の秋のことであった。

2013-06-13

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エレファントカシマシの「デーデ」という曲があって、この間のアカデメイア・カフェで、「お金があれば幸せか」という話をしていたとき、それが頭の中で流れた。


悲しい事あっても 1人きりになっても

金があるじゃないか 金があればいい

もしも君に友達が 1人もいないなら

ふぬけたド頭 フル回転 金が友達


そう、ちょうど(あ)氏の発言と裏表になるわけだけど、「お金があれば、人から嫌われてても友達がいなくても或る程度なんとかなるなあ」とおもって、「幸せになれる派」に挙手のだった。

嫁姑介護問題とか、これまで自分の稼ぎがないばかりに家庭の中で我慢してこざるをえなかった女の人たちのことを考えると、それってけっこう重要なことではないかとおもう。

もちろん自分も、金がなくても幸福感を感じられるのが一番良いあり方であるし、外貨を稼げない(稼がない)人も卑屈になったり惨めな思いをしたりすることのない世の中が一番理想であると思う。

が、「では脱成長でも幸福になるにはどうすればいいか」という議論のとき、どうしても「人のつながりが大事」という話になってしまい、そして今のところその「人のつながり」は、その中で或る成員を卑屈にさせたり惨めな思いをさせたりということから自由でないと思う。

2011-09-26

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かっこよくて涙が出た「ドロップ」。


2011-06-22

ミチロウ

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ust? っていまいち使い方がよくわからないのだが、こないだほぼ初めて観た。

遠藤ミチロウのライブが中継されている!と友人がついーとしたのでちらっと覗くつもりで観ただけだったのだが。

もう、最後の曲とアンコールしか聴けなかったのだが、それでも、すごいライブを見てしまったと思った。




アンコールは「カノン」という、パッヘルベルカノンをカヴァー(?)した曲で、狭い瓶の中でおよぐ金魚が詞のモチーフとなっている。「泳ぐことは頭をぶつけることだ/見ているあなたに痛さはわからないだろう」。詞自体は20年ほども前に書かれたものだとおもう。それを、当年還暦の遠藤ミチロウが歌いながら、泣いていた。

ミチロウさんは福島の出身で、そのライブは、フクシマ――わたしはいま知らず知らずそれを片仮名で表記して漢字表記に直そうとしてやはりまた片仮名表記に戻した―― からの中継なのであった。「一日に数センチの...透き通った水を汚し汚し...」。 わたし京都にいた。


柔いふくらんだ 腹の中には

黒づんだ 緑のフンが所狭しとつめられて

一日に数センチの悲しさ しぼり出し

この透き通った水を汚し汚し泳ぐのです


フラリ フラリ フラリ フラリ


あーもう嫌だと思うことだけが

まだこうしていれる力なのです

だからボクを愛してると言うのなら

このビンを手に取って

あの硬いコンクリートの壁にたたきつけて下さい

2011-06-15

神聖かまってちゃんとわが中学時代

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神聖かまってちゃんは、当初聴いたときはあんまよくわからず、ニートとかひきこもりとかネット世代とかいうあまりにもあんまりに現代的なキーワードで語られてたのも、なんかあざとい印象を受けてたのだが、「夕方のピアノ」を聴いた途端、ぐわっ!これはもうしょうがない! となった。ということは前もどっかに書いた気がする。


わたしにとってぐわっ!とくる音楽というのは、夜の高速道路のパーキングの感じ、子供の頃窓から続く瓦屋根を眺めながら「このときはずっと続かないんだな、お父さんもお母さんも私もいつか死ぬんだな」と思ったときの感じ、小学校の階段で手すりを握りながら急にふわーっと気が遠くなって今自分がどこにいるのか分からなくなった感じ、その感じを思い出させるような音楽なのである。そんで、「夕方のピアノ」はまさにそれだった。だから、音楽的にいいとか悪いとか、あざといとかあざとくないとか無関係に、これは好きだ!もうしょうがない!とおもったのやった。


「夕方のピアノ」は、歌詞も、の子(曲作り兼ヴォーカルの人)の子供時代のいじめ体験を歌っている。「死ねよ佐藤」と、いじめっこの実名を連呼する一見キワモノ的なその歌詞はセンセーショナルだとか或いは安直だとかいろいろ言えるだろうけど、(それは僕の心臓ではなくそれは僕の心に)刺さったのは、初めてじぶんという人間がたにんという人間に「死ね」と思ってしまうこと、だれかに憎しみを抱いてしまうこと、そのことによって否応なく(ユートピアとしての)子供時代から引き離されてしまう、という、その感じをうわわわっと思い出したから。



他に最近好きなのは、最初にインディーズから出たアルバムに入っている「ぺんてる」。

ぺんてるに/ぺんてるに/助けてくださいなんて言えればさぁ」。これは勝手な想像なのだけど、ぺんてるっていうのは、の子の地元の文房具屋かなんかであろうと思う。そんで、子供の頃からぺんてるは変わらず営業してて、お店の人も変わらなくて、それなのに自分だけが中途半端に成長していく、という感じ、という想像をしたのは、これを聴いたとき自分の中学時代を思い出したからであって、わたしの近所にも、近所の子供たちがみんな使うような文具屋があったのだが、中学生になってからその文具屋にいったとき、そこで部活の先輩に遭ったのだった。

中学の部活には上下関係を利用した軽いいじめみたいのがあったので、その先輩の姿を確認した途端、びくっとイヤーな気分になり文具屋の棚の陰で体を硬くしていた。そのときの感じ。

文具屋は小学校のときと変わっていない。店内はだるまストーブで暖かい。文具屋の優しいおっちゃんも小学生のときと同じにわたしに話しかけてくれる。先輩も小学生のときと同じにおっちゃんと話している。しかし、わたしと先輩の関係性だけが小学生のときとは違う。わたしはあの頃こんなびくびくしなかったし、先輩はこんな偉そうにしなかったし、おっちゃんがもう一回、小学生の頃に戻してくれないかな、でもそれはもう無理なんだな、てなそのときの絶望感を、「ぺんてるに/ぺんてるに/助けてくださいなんて言えればなぁ」というフレーズ聴いたとき思い出したのだった。



中学時代の諸々の衝撃というのは、今でもかなり鮮明に覚えていて、しゅうろんとかも、その中学時代の遺恨で書いたような気がする。というかわたしのすべてが、中学時代の遺恨でできている気がする。

上記のような中学のいじめが、それ以前のそれとどう違ったかといえば、中学のそれは、なにか社会的なものをバックにつけていたということだ。小学校時代にもクラスでのいじめとか人間関係のごたごたとかがあったが、それはある程度先生が止めてくれたし、何かあったらお父さんやお母さんが味方になってくれるだろう、という安心感があった(あくまでわたしの場合であって、小学生のいじめがすべてそうであるというのでは勿論ない。うちの小学校が特に平等主義的な教育方針だったということもあるかも)。が、中学のいじめっこたちは、なんか、社会的な権威や社会の中での序列を味方につけていて、それに対し自分は孤立している、という感覚があった。


そしてそれは、性差に関する制度と関係していた。どう関係していたのかは今でもうまく言うことができないが、中学に入って、女子はスカートで男子はズボン、女子は家庭科で男子は技術(わたしの時代はまだそうだったのです)と性別化されたそのことのイヤさと、中学いじめのイヤさは、同じものだったのだ。

同時に、異性の承認を得られているかどうかということが、学内ヒエラルキーの中で重要なファクターになりつつあり、そのことによって、それまでの自分の価値観が崩れていくのもいやだった。(たとえば、理不尽なことを言って後輩をいびる先輩がいた。普通に考えれば、そいつのいってることはおかしいし自分は何も間違ってないし怖がることはない、と頭ではわかるのだが、彼女はすごく男子にモテた。そのことに思い至ると、なぜか、「やはり彼女が正しくてわたしが間違ってるのではなかろうか…」という気持ちになったものだった。)



なんの話だったかというと神聖かまってちゃんの「ぺんてる」なのだが、その「助けてくださいって言えればなぁ(でもむり)」という気持ち、そして、「ぶ厚い風に飲み込まれちゃいったい僕はどうなるんだろうとまだ考えてるのに/人生がふわっと舞い上がる/あーもう嫌だ、ゆーっくりと大人になりました」。「あーもう人生が完全に狂っちゃっている」。12や13の頃の、ずいぶん年をとってしまったような、これからどうなるのか何もわからないまま重くだるい体を引きずって歩いてたときの感じ、ついこの間のことなのにもはやはるか遠い子供時代への狂気じみた郷愁、その、子供時代から全力で引き離される悲痛な感じ、で、それらをぜんぶごった煮にしたぐるぐるとけだるさの中から「買いに行きたいのです!」という意味を失ったシャウト。もういいや、以下略


2011-04-12

もう会えないかもしれない 他人になるかも

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春なのでピーズを聴いている。




これまでの春の、ふにゃふにゃをおもいだす。

ピーズの92年のアルバム『クズんなってGo』は、たぶん、20代で一番よく聴いたアルバムだ。


クズんなってGO

クズんなってGO


春の、ぽやんとした、浮かれたようでなんもない感じ。「今度また会えるのが/分からないいつなのか/もう会えないかもしれない/他人になるかも」。黄色っぽい花粉のにおい。あと、ピーズってダメとか情けないとかであんまかっこいいって形容されないが、ギターが地味にすごくかっこいい。

2011-02-05

 宇宙、胃袋、音楽

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音楽を聴いてたらおなかはへらないよ。と言いたいよ。

胃袋を重くすることは一切支持しない、と稲垣足穂はいったよ。

だが現実問題として胃が鳴るよ、にぎったものをたべるよ。

2011-01-09

空振り

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懐かしい動画を発見する。これ。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm12953352


98年、フラワーカンパニーズのサヨナラ大阪球場ライブなのだが、この客のどっかに、13年前のわたしセーラー服着用)がいるはずなのである…。たぶん映ってないけど。

このときの記憶として、「ああ今日も空振り」という曲を球場で聴いたのがすごくよかった、というのが印象に残っており、懐かしくなって久々に聴いてみたら、当時はピンと来なかった歌詞があまりにも今の自分にぴったりで参った。


遅れてる 遅れてる 何から何までも

遅すぎる 遅すぎる もうすでに若くもない

わかってる わかってる わかってるつもりでも

まだ少し ほんの少し 夢を見続けてる


いまさら誰も期待すんなよ

いい年こいて 拗ねてばかりだ

可愛げもなく



まんまである。

2011-01-02

年末に遠藤ミチロウをみた

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年末に、梅田で、遠藤ミチロウをみた。

還暦ライブだった。


ライブで見るのは初めてなのだが、遠藤ミチロウとの出会いはけっこう昔で、中学のころに本屋で立ち読みした『遠藤ミチロウ詩集』で、「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」という曲の詞に、なんだかわかんないが、すげー!! と思ったのだった。音でなくてことばから入ったのである。

バンドの名前が「スターリン」というのもなんかすごいとおもった。スターリンって、社会の授業でちらっと聴いただけだけど、悪い独裁者ですよと習っていたので。


で、今回も、きっと臓物とかが飛んでくるに違いないと予想して(注:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3#.E6.A6.82.E8.A6.81  を参照)、上着・荷物その他をすべて駅のコインロッカーに詰め込んで、臓物投げられてもいいシャツ(寒い)でライブハウスに駆けつけたところ、椅子が出ていたっ…。客は皆、もこもこした上着を着て座っていた。

今日は、アコースティック弾き語りヴァージョンなのだった……。

臓物飛ばないのだった……。


実物の遠藤ミチロウはずいぶん小柄で、また、喋ると非常に朴訥とした礼儀正しい方だった。

だが、曲が始まると、弾き語りとは思えぬ迫力でびびる。二曲目「電動コケシ」で既に落涙、さらに「お母さん、あなたのことは…」でマスカラが全部落ちる。ステージで煙草を一服した後(灰皿を持ってきたライブハウスの人にも丁寧にお礼を言ってらした)、寺山修司の詩につけた曲を数曲。アンコールでは、聴きたかった「父よあなたは偉かった」。すごくよかった。



それにしても、である。

ミチロウさんもMCで「皆さん、静かに聴いてますねぇ」と感心したように言ったが、たしかに皆、おとなしく聴いていた。わたしも、時折椅子を立ち上がり暴れたくなりながらも、基本うずうず座っていた。

ロックのライブといえど、観客の行動はかなりの程度環境によって規定されるのであって、椅子が出ていて皆座っている、というだけで、スタンディングのライブとはだいぶ趣が変わってくる。スターリン時代のパンクナンバーなどやると体を小刻みに動かしはするのだが、立ち上がってノる人やましてやダイブする人はいない。静かにしっとり聴く曲のときは、それでも違和感がないのだが、面白いと思ったのは、攻撃的な曲をやるときである。

たとえば、「やりたいか!そんなにやりたいか!?」という叫びから始まる「オデッセイSEX 2010」。スタンディングのライブであれば、観客が「ウオオオオ!」と拳振り上げて応えるはずだが、座ったままのわれわれは、「やりたいか!」と叫ばれても、「ぉ…、ぉぉ~」と戸惑い気味の細い歓声を返すのみ。

だが、ステージ上のミチロウは、固まったままの観客を前に、変わらず攻撃的な詞を弾丸のように撃ち込んでくる。詞の間には、ギャアアアアと甲高い叫びを上げつづける。その様子に、この人はことばと声の力をすごく信じている人なのだ、と感じると同時に、これは、狂ってる!と感じた。


だって、そうだよね。そのへんでふつうにそんな光景を見かけたら、たぶんそれは狂ってる光景であると思う。何かレスポンスするわけでもなくじっと座っている大勢を前に、たった一人で、ことばを投げ続け叫び続ける人。狂ってる!と思うと思う。

喧しい音楽をバックにしてのお祭り騒ぎの中でではなく、ギター一本のアコースティックライブであったがゆえに余計に、ロックのショーというものの性質、パフォーマー/観客たち という構図が浮き彫りになって、「カノン」という歌で歌われるこの詞が、今・ここ について歌われているものとして響いたのだった。

泳ぐことは頭をぶつけることだ

見ているアナタには痛さは分からないだろう




次回は臓物を投げられてきたいと思います。







おかあさん、頭がいいのはぼくのせいではないと自己主張する度に

宙ぶらりんの想像妊娠恐怖症からやっと立ち直った

女の下着にはいつも黄色いシミが付いていて

人種差別は性欲の根源であると公言してはばからない

アメリカの政治家の演説をうのみにしたようなすがすがしい朝の勃起

ベトナムのバナナのたたき売りを一目見ようと片手に自由の女神の電動コケシと片手に赤マムシドリンクをかかえこんだ農協のじじいが

かわいい孫娘のおみやげにと上野アメ横ではやりのジーンズを買い込んで

金を使い果たし

家族は運命共同体だと時代遅れの暴言を吐いて浮浪者になってしまったあげく殺されてしまった悲しい話を思い出してはみるのです

お元気ですか?


おかあさん、パンツのはけない留置場は寒いです

水洗便所の流す音がうるさくてなかなか寝つけないので

犯罪者はいつもこっそりセンズリをかくのですが

「おかげであなたの夢ばかり見る」と取調室でしゃべったら

刑事はさも嬉しそうに「親孝行しなけりゃいかん」と

昼メシにカツ丼をおごってくれたのですがタヌキウドンのほうが食べたくて

「父親は嫌いだ!」と言ったら自衛隊かぶれの隣りのヤクザ真紅になって怒り出し「ゼイタクは敵だ」などと勝手なことをほざいたので

「オマエなんか生まれてこなけりゃ良かったんだ!この貧乏人め!」

とつい口をすべらせてしまったのです

お元気ですか?


(「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」)


愛国幻想! 愛国戦争!


父よ、あなたは偉かった

ボクには一片のユートピアも残されてはいないのです

ナショナル勃起 ナショナル勃起

ナショナルキッドのオチンチン

ユーゴスラビア ユートピア

悪魔の描いたユートピア


(「父よ、あなたは偉かった」)






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