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アカデミズモは、アカデミズムの裏庭。そこには亀たちが棲んでゐます。



もともとは「京都アカデメイア」スタッフのグループブログの一つということで始めたブログですが、現在は個人的な雑記として用いています。心にうつりゆくよしなしごと等を記録することとします。

■写真主体のブログはこちら:
京都ぬるぬるブログ
http://yaplog.jp/maternise/

(パイロン、貼り紙、絵馬、動物、犬など)

■LINEスタンプ各種発売中です:https://store.line.me/stickershop/author/52173/ja

■京アカでの書き物:
「精神分析とジェンダー」ブックガイド
書評『バンギャル ア ゴーゴー』
書評『摂食障害の語り 〈回復〉の臨床社会学』
書評『勝手にふるえてろ』



カテゴリー




2017-03-21

老人と嘘

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祖父(父方)は、善人でも悪人でもなかったが、ナチュラルに嘘を言うことがあった。嘘、という言い方は適切ではないのだが、なんといってよいか分からない。微妙に話を盛るというか、いや、これも違うな。



私が大学院に通っていた頃、祖父が「この間、あんたの先生にばったり会うた」と言い出したことがあった。祖父が病院へ行く道で、私の指導教官が、「はっ、これは〇子クンのお祖父様ではありませんか」と声をかけてきたのだという。

祖父が、孫がたいへんお世話になって、というような挨拶をすると、教授は、

「我が大学院の学生は皆それぞれに優秀ですが、とりわけ△子クンは優秀で期待しておりますぞ、あっはっは」

と言ったのだそうだ。


しかしこの話はどう考えてもありえないのである。

まず、私はまったく優秀ではなかったし、いやそれ以前に、教授は「~クン」とか「~ですぞ、あっはっは」とかいう喋り方をする人ではなかったし、さらにそれ以前に、祖父も教授も互いに会ったこともないのだからもし本当にすれ違ったのだとしても互いに識別できるはずがないのである。

よって、祖父のファンタジーと見るのが妥当なのであるが、祖父にとってこの出来事はありありと体験されていたらしく、それを修正することはできそうになかった。



祖母の方は老いてから重度の認知症発症し、われわれを戸惑わせたものであったが、祖父は死ぬまで頭はハッキリしており、ボケていたわけではなかった。虚言癖というほどのものでもないし、人格的にそれほど大きなトラブルもなく、そこまで妄想じみたことを言うわけでもなかった。ただ、しばしば、こうしたモードになるのだった。というか、普段からナチュラルにこうしたモードなのであった。



この十年ほど前、私が大学に入った頃だっただろうか、家に帰ると、祖父の字で書かれた「ご学友の〇〇氏より電話あり」というメモがあった。

(当時私はまだケータイ電話をもっておらず、友人らは自宅電話に連絡しなくてはならず、そのたびに祖父が出るので緊張したという。)

それが、友人の名前が仮に「吉本圭介」だったとすると、「吉元敬助」のような微妙に違う字が当てられており、しかもそれが特に迷いなく堂々と書かれているのだった。

「おじいちゃん、吉本くん(仮名)から電話あったん?」と確認すると、祖父は、

「おう、『わたくし△子さんの学友の吉元であります、共に勉学に励んでおります』て言うてはったわ」

と答えるのだったが、吉本くん(仮名)は「わたくし…」とか言うキャラではないし、そもそも一緒に勉学に励んでもなかった。しかし祖父の中では、吉本くん、いや吉元くんはたしかにそう言ったらしい。



このような祖父の嘘というか心的現実の中で、最も黒いもののひとつは、私の学資保険を使い込んだことを母のせいにした件である。ひどい話であるが、祖父はこれもまた「嘘」をついているつもりはなかったのであろう。

2017-03-13

分からないことと分からない気持ちが分かることと分からないことが分からない気持ちも分かることとやっぱりいろいろ分からないこと

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大学に入ったばかりの頃、塾講師のバイトを始めたという友人が、「こんな簡単な問題も分からないような生徒ばかりで信じられへん、教えても無駄な気がする」とぼやいていて、彼はこれまで勉強が分からなかったことがないというので、この人はずっと「分からない・できない側」の気持ちになったことがないんや!と衝撃を受けた。

私もその頃教えるバイトをしていたのだが、自分が全然勉強ができない時期があったため(あと、体育は生まれてこのかた時期を問わず一切できたことがないため)、分からない・できない子の気持ちが自分は分かるぞ、それは自分の強みかもしれないな、と思った。


勉強が壊滅的にできなかった時期は、なぜ・何が分からないのかと言われても、まず、なぜ・何が分からないのか分からないし、もはや断片的にしか意味がとれない言葉が話される45分間の授業の間、ただ漫然と座っていて(あまりに暇なので「どれだけ長く息を止められるかゲーム」をよく一人でやっていた)、ときどき当てられて絶対答えられるはずのない問いを問われる苦痛は、できない側であったことがなかった人にはなかなか分からないと思う。

理科の時間に指名されて、「~は何個や?」となんかの個数を訊かれ、それの答えは「6個」かなんかそんな感じだったらしいのだが、なんかの個数を訊かれているという以外のすべてのことが分からなかったので、とりあえず教科書を開き、開いたところに「26000」みたいな数字があったので「26000個」と答え、先生にめっちゃ怒られたのを覚えている。


あの先生からすれば、なんでそんなことになってしまうのかさっぱり分からなかっただろうし、ふざけているように見えたかもしれない。

その他、英語のbe動詞が意味分からんかったし(「this is a pen」の「is」は「これはペンです」の「は」なのか「です」なのか分からなかったため英語は詰んだ)、また、体育の逆上がりは毎日居残りしたが結局できなかったし、いずれも、できる人にしてみれば、なぜそんな簡単なことが分からない・できないのか、理解できないだろうと思う。


その、分からない人のことを分からない、できる人の気持ちも分かるところがあって、というのは、小学生低学年のときは国語だけはできたからだ。国語のテストでどうして40点とかをとる人がいるのかまったく分からなかった。国語って文章を読むだけなのに、どこに分からない要素があるのか分からず、のび太が算数や社会はともかくとして国語でも20点とかをとってるのを見て、「どうやって20点とかとれるんや」と思っていた。



この国語における分からないことの分からなさが解消されたのは、7、8歳頃、親戚から借りた『ああ無情(レ・ミゼラブル)』を読んだ(正確には読んだとはいえない)ときである。敬愛する従姉のおねえちゃんがおり、そのおねえちゃんの愛読書であるというので、「ちょっと難しいかもしれへんで」と言われつつ、読む気まんまんで借りたのであるが、文字を追ってもさっぱりどういう話なのか分からなかった。

「知らない漢字がある」という以外の理由で文章が理解できなかったのはそれが初めてのことで、「よく漫画とかで見る『難しい本が分からない』というのはこういうことかーー!!これが、『分からない』かーー!」と思った。本の内容は分からなかったが、分からないとはどういうことかが分かったのだった。


だがそのような、分からない側であった体験とか、分からないことが分からない側であった体験とか、分からないということが分かった体験とかがあるにもかかわらず、そしてそれが自分の強みだと自負していたにも関わらず、しかしやっぱり実感的に分かっているのは自分の体験した範囲内での分かったり分からなかったりだけであって、今でも実際に、自分がやすやすとできていることができない人に会うと「分からないらしいことは分かるが、なぜ分からないのか分からない!」と困るし、自分ができないことをやすやすとできている人に会うと、「できない者の気持ちを分からないやつめ、ふざけんな!」と腹を立ててしまう。





被害を訴えられるとき

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被害を訴えられ、かつ、その被害の内容が事実か分からない場合の対応の仕方に、いつも失敗し続けているように思う。



まず、人から何らかの被害を訴えられたり相談されたりするとき、聞かされた人は「これはウソかもしれない」とか「大袈裟に言ってるのかもしれない」とか「この人が悪いんじゃないか」とか思ってしまう傾向があることは、常に肝に銘じておいたほうがよいと思っている。

(どうでもいいけど「肝に銘じる」という慣用表現がなんか嫌いであるのだが他に適当な言葉がないので使ってしまった。ほんまにどうでもいいな)

これはおそらく防衛反応であって、誰かがひどい目に遭っているということを聞くとき、自分が同じ目に遭う可能性があると考えたくなかったり、或いは、同じ目に遭っていない自分が責められているように感じたりして、そうした気持ちゆえに、そのひどい目に遭っている人の訴えを聴くのにバイアスがかかってしまうものだと思う。何らかの事件報道のたびに、「被害者にも落ち度があったのでないか」的な論や自己責任論が出てくることはその証左だと思う。みんな、被害者にも落ち度があったと思うことで、落ち度のない自分はそんな目には合わないはずだと安心したい・万能感を保ちたいのだと思う。

(今聖書読書会ヨブ記を読んでるんだけど、ヨブにふりかかる理不尽な災いの数々を、ヨブの友達たちが「お前がなんか悪いことしたんちゃうか」みたいに責め続けており、ああ、これよくあるやつや……と思う。というかそいつらは友達なのか、という話である。)



そのような人間心理バイアスを考慮に入れると、何らかの被害を訴えられたときは、極力それはすべて真実だと思って聴くくらいでちょうどいいとは思うのだが、その内容が、およそありそうもない場合、たとえば認知症精神病性の妄想などによると思われる(がちょっとくらいは事実である可能性がなくもない)内容であった場合、いつも態度を誤ってしまう。


まず、あるべき態度としては、世の中にはまさか本当にそんなことがあるとは思えないことがけっこう起こっていることを思えば、一概に妄想であると断定することは危険であるかもしれず、一応は事実である可能性も念頭においておかねばならない、ということがひとつ。(実際これまで、妄想であったと思われていた被害の訴えが実は事実であったり、あるいは故意に妄想ということにされて握りつぶされた訴えがあったりしてきた。)

また、たとえ妄想であったとしても、その人がその妄想の結果苦しんでいるということは本当であるから、訴えの内容を認めるかどうかは別にしてその苦しみは認めなくてはならない、ということがひとつ。

かつ、それが妄想であったとしたら、「そんなの妄想だよ」と修正しようとしても多くの場合修正されることはないので、それは医療に任せるべきであるとして、正しい態度としては、「事実であるという可能性を念頭に置きつつ・妄想であったとしても修正できないので内容への判断は保留にして・その人の苦しみだけは認めそれを聴く」ことである、とは分かっているのだが、いつもこれに失敗する。

たとえば「AさんがBさんに被害を受けた」と訴えているがAさんもBさんもともに自分の友人であり、Aさんに寄り添うことがBさんを疑うことになりBさんに悪いと感じられてしまう、ような場合である。

2017-02-19

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普段写真主体ブログヤプログで書いてますが、そっちはあんまり読書メモとか長文とか書くのに適してないので、放置しているこちらも活用していこうとおもう。

当初は京アカスタッフ活動報告用として招いていただいたグループブログであったが、ここ数年あまり京アカにも関わっておらず(名ばかりスタッフですみません)、登録当初とはずいぶん書く内容も変わってしまいますが(当初のブログを見てたら仲間内の連絡やら活動報告的なものが多くて驚いた)、リニウアルってことでデザインとかヘッダの文言とかも変えてみました。よろしく。

2014-12-31

私がオバさんになっても(10年前について所感)

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10年前の今ごろ、私は26歳を目前にしていた。

26歳は私にとって特別な鬱年であった。母が私を産んだのが26歳だったからだ。自分はとうに生殖年齢に達しているのだ、ということを嫌でも感じさせられる年であった。

だが私は、産む産まないを考える前に、完全に「女性性」を(昨今よく用いられる表現でいえば)「こじらせて」いた。「女性性をこじらせる」ということについて厳密に記述しようと思えば面倒なことになるのでここでは「こじらせる」という表現の絶妙さに頼ることとしておくが、女であることをめぐる諸々の病理や違和感や欲望と上手く付き合えていなかった、くらいのことと思っておいてほしい。


ネットには、同じく、こじらせている女の子たちがいた。

私は日々、彼女らのサイトやブログ(というものは当時まだマイナーで「ウェブ日記」とか呼ばれていた)を巡回していた。

彼女らは、いわゆる「ネットアイドル」だったりした。

自分と同じ年頃、25歳前後の彼女らは、「アイドル」というには年かさで、また心理社会的には既に「アイデンティティ」を確立していてしかるべき年齢のはずであったが、皆、自分が何かになれること、自分が特別であることを未だ夢見ているように見えた。そして自分と同じく、女であることをめぐって何かの困難や何かの問いを抱えているように見えた。そしてその問いが、症状に転化しているように見えた。

川村邦光のいう「オトメ共同体」のようなものを、私はそこに見ていたのだけれど、だが戦前の少女文化の中に川村が見出した「オトメ共同体」とは異なり、オトメたちは相互の紐帯を築いていたわけでなく、バラバラに存在していた。皆それぞれが、星座を成しつつ孤立して瞬くお星様のような存在であった。そして私は差し詰め、お星様を下界から見上げるだけの存在だった。彼女らに共感しながら声をかけることはできず、まさにアイドルに焦がれる少年のごとく一方的に覗き見るばかりであった。私は彼女らに共感しながら、自分が「彼女らのネガである」ような感覚を覚えていたのだった。その感覚は何だったのだろうか。


耽美的なポエム。微妙な笑顔の自分撮り。無表情で口を半開きにした自分撮り。ロリータ・ファッション嶽本野ばらYUKICocco。林檎。の模倣。彼氏とのセックスの記録。服薬記録。加工されたハルシオンのシートの画像。加工されたリストカット後の画像。加工された裸の画像。心配してくれる彼氏。当時出現したばかりの言葉でいえばいわゆる「メンヘラ」たちといえるのだろうが、この語は雑なので使いたくない。たしかにそのサイトやブログにはヒステリー的(古典的意味での)雰囲気が漂っていたけれども、「お星様」であることは、実際の精神医学的診断的な健康不健康とはとりあえず関係がない(また診断がついていたとしても多様であろう病態を「メンヘラ」の一言で包括するのは至極乱暴)。或いは健康不健康をいうならば、当時の私もけっして健康とは言えなかっただろう。

そうか、私たちは同じ世代の似た病みをもった者たちだったのだろうが、アクティング・アウトするか否かが分かれ目であったのかもしれない。ここでいうアクティング・アウトとは、何というか、身体を使って自分をショー化してみせること、それによって「特別な私」へと飛躍する(しようとする)ことだ。私はアクティング・アウトできなかった。身体を使えなかった。それゆえに私は彼女らに、「私のポジがあそこにいる」という一種のねたましさを覚えたのだと思う。


むしろ、自分自身と自分の身体や自分の外見のあいだに溝があってそれを越えられない、それが私の難儀さであった。一方お星様たちは、それらがぴったりと埋められているような(埋めようと行動化しているような或いは予め埋められているような)、そんな感じを覚えたのだった。

私が強烈に覚えているのは、やはり同年代の、或る女性のブログだった。

彼女に恋し振り回されたことによってひとりの男性が破滅した(らしい)とき、彼女は、

ファム・ファタール――運命の女」

と書いており、それを見たとき、負けだ! と思った。

私は永遠に彼女らを、下界から見上げ続ける者でしかあれないだろう。私は永遠に彼女らに負け続けるだろう。だって私は、自分のことを絶対に「運命の女」とか書けない。自分のことを書くのに「――」とか使えない。全角のダッシュはふたつ、と考える、"ダッシュ"と打って変換キー、と考える、考えるところにどうしても溝ができてしまう。その溝に陥らずに居られない。溝を乗り越える身体性が私にはない。でも彼女にはその隙間がない! 隙間のある者は隙間のない者の崇拝者や目撃者でしかあれないのであり、永遠に負けるのだ。 私は、貴女のネガでございます。


ところが、30歳を越えた頃から、彼女らのサイトの様子が変わり始めた。

30歳を過ぎても、私は時々彼女らのサイトやブログを覗いていた。中にはネットの世界からいなくなった人、名前を何度も変えてるうちにとうとう見つからなくなった人、何人かの人はほそぼそと、自分の情報をupしつづけていた。

更新頻度もサイトにかけている熱意も以前より下がり、彼女らはそれぞれ、結婚したり出産したりしていた。内容は、以前のような、苦悩を耽美的に綴ったものや音楽や本やドールの話から、安定した日常の細々とした幸福に移っていた。

安定するのは良いことだし、苦悩していた女性が歳をとることによって精神的平穏を得られるのは悦ばしいことだと思う。だが私は、「なんだよ!」という気持ちになったのだった。

「運命の女」だった彼女も母親になっており、「若い頃は馬鹿なこともした」とまるで遠い昔であるかのように過去を述懐していた。「なんだよ、私だけかよ」と、私は取り残されたような感を覚えた。なんだよ、私はまだこじらせているというのに!

繰り返すが、私が一方的に彼女らのサイトやブログの読者であっただけで、直接的な関係は何もない。よって完全に私の関係妄想なのであるが、私はまるで「彼女らが私を踏み台にして幸せになった」かのような寂しさを覚えたのだった。



……が。この一年、そうした気分もすっかり薄らいでしまった。

何故そんな関係妄想じみた思いを抱いたのか、その思い自体は覚えているけれどもその感じがもうリアルに思い出せないし、私もすっかり細々とした幸福を垂れ流す側に堕落した(そう、未だ「堕落」と感じてしまうのであるが)。

何故見知らぬ人に対してあんなにも、「私のポジがいる」という強い思いを抱いたのか、と不思議に思う。冷静に考えれば、自分とはなんの関係もない他人じゃないか。

打撃を受けたかつてのブログなどを思い出しても、何故そんなに打撃を受けたのか、もうリアルには思い出せない。おそらくその、存在の強度にアテられたのだろうが。

という意味で、今年は自分にとって、少女期(ずいぶん長い)の終焉を感ずる年であった。以上、私でない人にはよく分からない話かもしれないと思うんだけど、自分の感覚の変化を覚えておきたいので、自分用記録として書いておきたかった。

少女でなくなるとは健康になることだ。今、10年前に較べればとてもラクだ。が、同時に、何かを喪った気もしている。少女期以降は少女期の予後、と言ったのはたしか矢川澄子だが、少女期の予後不良は私のアイデンティティであり、それを切り貼りして何かを書いたりものを考えたりしてきたので、不健康を喪った自分に一体何が残っているというのか。と思うまたその一方で、しばしばあることとして、自然治癒した病理が更年期以降に復活するのでないかという危惧も抱いている。それに産む産まない問題はべつに今でも克服してないし。

2013-04-21

地理の縮尺の問題の思い出

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中学時代の怨念シリーズである。


中学のとき、わりと皆に慕われてる社会の先生がいた。

テスト用紙に、ひとりひとりに赤ペンで長いコメントを書いて返したりなど、熱血系の先生やった。

その先生の地理の授業である日、地図の縮尺?かなんかを答えさせる問題があり、指名された。

どんな質問だったかくわしくは覚えてないが、これは何分の一の縮尺か? ということを、簡単な計算をさせて答えさせる問題だったかな。

それで「1000」とかなんか答えたのだが、先生は、「ん? 1000? 10000とちゃうか?」とかなんか、ひとつ違う桁をいうてきたのやった。


で、もう一度計算したが、明らかに自分の答えで正しかった。

ので、もう一度、「1000」と答えたのだが、先生はしつこく、「10000とちゃうか?」と問うた。

「1000」ともう一度言った。

だがさらに教師は、「1000? お前、ほんまかぁ? みんな、10000やんなぁ?」と言いながらこちらの顔を覗き込むのであった。


私は分かっていた。

正しい答えは1000である。だがこの教師は、誤答に誘導して「10000」と答えさせ、

「はい、正しい答えは1000でした。お前ぇ、人の言うことに惑わされたらあかんやんか。みんな、もっと自分の答えを信じるんやぞ!」

という流れにもっていきたいのだ、と。


「どや? お前、10000とちゃうかなぁ?」

教師は重ねて訊いた。

ついに私は折れて、「10000」と答えたのだった。

果たして教師は、

「はい、正しい答えは1000でした。お前ぇ、人の言うことに惑わされたらあかんやんか。みんな、もっと自分の答えを信じるんやぞ!」

というようなことを言うた。



私は、正答が「10000」であるという他人の意見に流されたのではない。この先生の思う流れで授業を進めることに協力してあげねばならんっぽい……、という圧力に流されたのである。

だがそのこと(私が、いわば協力してあげたということ、協力してあげなあかん圧力を察知しておりそれに流されたということ)に教師は気づいていなかった(単に私が、正答が「10000」であるという他人の意見に流されたと思っていた)であろうし、そればかりかさらに、私自身でさえも、自分が、正答が「10000」であるという他人の意見に流されたかのように錯覚し、それからしばらく自分の意志の弱さを恥じていたのだった。


怒りが沸いてきたのは、ずいぶん後のことだった。

うちは、あの人の思うように授業を進めるために単に利用されたんや!ということが解ったのだった。

(これを言語化できたのは、このときからかなり経って、大学生になったくらいの頃だった。)

この教師が私を指名したのは、第一に、私を馬鹿だと思っていたからであろう。中学時代、私はあまり勉強ができなかったが、人並みに物は考えていたと思う。だが、学業成績およびその他諸々の要素(たぶん雰囲気とか外見とか)から、教師からも周囲の生徒からも、何も考えていないぼんやりさん扱いされることが多かった。この男は、私のテストのコメントに、「お前はもっと自分の意見をもたなあかん!」ということを赤ペンで書いて返したりもしていたので、私が自分の頭で何ひとつ考えていないと思っており、それを私に分からせるためにも、私を指名したのであろう。つまり教育的指導のつもりだったのであろう。


今、私は、正規の職ではないながらひとに教える機会をいくらかもっておるが、こういう授業の進め方だけはするまい、と未だに思っている、が、ときどき、無意識的に気づかぬうちにこういう生徒の利用の仕方をしているのではないかとおもい、不安になる。

2013-04-06

人生(来世含む)でやりたい100のリスト

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「人生でやりたい100のリスト」というのが流行っているようなので(http://matome.naver.jp/odai/2133328100304758601)、わたしもしたいことリストをつくってみることにした。

したいことが増え次第追加します。


  • 長崎バイオパークに行きカピバラをさわりたい
  • カピバラに生まれたい
  • カピバラを生みたい
  • カピバラ温泉でカピバラと混浴したい
  • マナティに生まれ変わりたい
  • マナティジュゴンの間に横たわりたい
  • ツチブタを飼いたい
  • ツチブタと同じ布団で寝たい
  • ツチブタの鼻で二の腕あたりをふごふごされたい
  • シャーペイさんのしわとしわの間にはさまりたい
  • カンガルーの袋に入りたい
  • 有袋類になりまめ子を自分の袋に入れたい
  • まめ子と鴨川の北のほうにいきたい
  • まめ子と疎水にいきたい(春)
  • 一度くらいならまめ子と人間語でしゃべってみたい
  • カンブリア紀に行きたい
  • カンブリア紀で、アノマロカリス、ハルキゲニアなどの色を確かめたい
  • カンブリア紀からオットイアをもって帰りたい
  • パンダ生みたい
  • ブタの乳を数えたい
  • おたまじゃくしを溜めた風呂に入りたい
  • まめ子と温泉につかりたい、まめ子に風呂のよさを分かって欲しい
  • ハリモグラのあかちゃんの腹をなめたい
  • でかいねこ(ヒョウ、トラ)に襲われることなく彼らが寝ている間にその腹をほにょほにょしたい

以下、随時追加



2013-01-27

レディヒステリック玉姫様、乱心

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こないだついったーでPMSの話になったのでPMSについて。


わたしは初潮以来かなり生理痛が激烈で、「こんなんでこの先の将来生きていけるのか」というのが、11歳~18歳くらいまでずっと心配やった。大人の女の人(学校の先生とか)を見るたび「この人、生理のときどうしてるんかな、私もこんなふうに働けるんかな」と心配していた。

大学受験の日に倒れたのはもはや自分内伝説である。

どのくらいひどかったかというと、このくらいひどかった。↓


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生理痛のイメージ図 by ぬらた on pixiv



保健体育教材・乙女の憂鬱 ドキュメント3.20(1999) by ぬらた on pixiv



こうした発作が3ヶ月に1度ペースで訪れる、というのがずっと続いていたのだが、なぜか20代後半になってそれはなくなった。今も痛いがここまで痛いことはもうない。加齢によるなんかなのか、精神的になんかよくなったのか、理由はわからない。

だが、その代わりに、PMS月経前症候群)がひどくなった!

PMSというのは、人によって症状には個人差があるようだが、わたしの場合は、むやみにいらいらしたり、鬱鬱したり、うがー!!となったり、「もう何もかもダメだ!死にたい!死にたい!」というきぶんになったりする、というものである。

ところが厄介なのは、PMSによる症状というのは、事後的にしかそれと判らない、という点である。



PMSPMSだと気づくときの感じ、というのはこんな感じである。↓

PMSから出血開始へのイメージ図 by ぬらた on pixiv


出血が始まると同時に、それまでもや~としていたものが、霧が晴れたように引いていく。そして、「はっ、今まで鬱々とか苛々とかしていたのは、ホルモンのせいであったのか! またしてもやられた!」と気づくのである。

そして少しほっとする。ほっとするのはなぜかといえば、自分の精神的な鬱々であり苛々であると思われていたものが、身体に由来するものであるとわかり、身体に由来するということは消失するものであり非本質的なものである、と考えているからである。

……のだが、ここでも、いつも、疑問を感じるのである。


PMSのときに感じる苛々や鬱々の量やあり方はたしかに非日常的なものであるが、だが、苛々や鬱々の原因はちゃんと存在しており、よってその苛々や鬱々にはちゃんと理由がある。それを、事後的に「PMSのせいだったのね」と回収してしまうのはどうなのか!

そもそも、その苛々や鬱々の量やあり方が非日常的なものであったとして、しかし、それが非本質的なものだと考えてしまってよいのか。むしろそれが本質だという可能性もあるのではないか!

その本質から、「PMSだったのね」ということで目を逸らしているのではないか!

また、そもそも身体由来のものと精神由来のものを、そんなにはっきり分けることができるのか!

と。


これはべつにPMSだけでなく、鬱とかにもいえることやと思う。というか、既によく議論されてきたことであると思う。たとえば、職場の労働条件の劣悪さの中で鬱になった場合とか。それって、「治療して社会復帰」だけが言われるけど、本来「鬱だったからつらかったのね」っていう問題だけではないはずだ。

そして、たしかにPMSだと判ったとき、「PMSのせいだったのね、よかったぁ」とほっとするんだけど、じぶんが知らず知らず「鬱だったからつらかったのね」的なものに加担しているのでないかと不安になるのであった。

殊に、女の発言が女の発言であるがゆえにヒステリーとして片付けられてきた歴史などを思うと、ちょっと慎重にならねばなと思うのであった。

(しょうもない卑近な例では、自分の怒りや苛立ちを、「生理前だったからだねはいはい」みたいに片付けられるときなど。たしかに「生理前はイライラしがち」ということは事実である。しかしだからといってそれは、その怒りや苛立ちおよびその原因が「偽物である」ということを意味するのではない。)

いや、言うべきは「ヒステリーで何が悪い!」なのかもしれんけどね(つづく)。


と、このへんのことに関連して、誰かが「PMSの言説化」みたいなことを研究して書いておられたのだと思うんだけど、何の本だったか思い出せない! 下↓のどれかの本だった気がするけど…。



■ おすすめの月経本

生理休暇の誕生 (青弓社ライブラリー)

生理休暇の誕生 (青弓社ライブラリー)


月経と犯罪―女性犯罪論の真偽を問う

月経と犯罪―女性犯罪論の真偽を問う


アンネナプキンの社会史 (宝島社文庫)

アンネナプキンの社会史 (宝島社文庫)


紅い花 (小学館文庫)

紅い花 (小学館文庫)



『紅い花』は、戸川純の「玉姫様」と並んで、高校時代に出会ってよかった作品だなー。

とにかく生理というものが、汚くて不快でいやだいやだと思っていたわたしにとって、月経が美しく神秘的なものとして描かれているのは嬉しかった。

が、それもまた、月経の(あるいは女の)描き方の典型であって、それを礼賛するのって、セルフオリエンタリズムみたいのにつながっていくのだが、でもでも、である。

で、これは上の話を受けて、なのだが、特に「玉姫様」って、そうしたセルフオリエンタリズムのようでいて、そのパロディっていうか、つまり「ヒステリーで何が悪い!」という歌で、実に元気付けられた(というのも変な話だが)。

もう何も見えない、もう聞こえない、あなたの話が理解できない、というフレーズはわたしには、

おまえの話なんか理解してやらねえんだよ、

と聞こえるのであった。


2013-01-20

体罰の思い出

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体罰が話題になっているので、わたしも体罰の思い出について書こうとおもう。

(他のところでもちょっと書いたけど)いちばん覚えているのは、中学に入ったばかりの頃のこと。

嫌味で理不尽な物言いをする社会科の教師がいた(男・30代)。神経質そうであると同時に常ににやにやしており、なんとなしに厭らしいところもあり(そこはかとなくセクシャル・ハラスメント的な言動)、彼はすぐに不人気教師になった。


ある日の掃除時間、もう詳しいことは忘れてしまったが、掃除について、彼がまたもなにか理不尽なことを言い、友人がそれに口答えしたところ、彼は手に持っていた硬いもの(出席簿か何か)で、友人の頭を殴った。

わたしはショックを受け、泣きながら校門から脱走。

そのまま家に帰ったので、驚いた親が学校に電話をかけて事情を質した(その後どうなったかは覚えていない)。

さらに夏には、同じ教師が卓球部の女子の頭を卓球ラケット(の側面)で殴るという事件もあった。その後、卓球部全員会議室に集められ、学年主任から「○○先生も反省しているので、この件はこれ以上口外しないように」というお達しがあったりもした。


私もこの教師に意味なく校庭で追いかけられたり(これは未だに謎)、身体的特徴をからかわれたりしたので、他の生徒と同様そいつのことは嫌いだったが、同時に、同じ嫌われ者として、なんとなくシンパシーではないけれど、何か仲間意識のようなもののようなものをだいてもいた。「あの先生は、私に対して、『この生徒はわかってくれている』と思っているのではないか」というようなことをおもっていた。


夏休み明けには「自由研究事件」があった。

社会科では、夏休みの宿題として自由研究が課されていたのだが、宿題をやってきた生徒をひとりずつ教卓の前に立たせてその宿題を罵倒、場合によっては宿題を破り裂く、ということに45分の授業時間が費やされた。(注:今思えば、大学ではよくある光景。)

普段いじめっこであるクラスメイトが罵倒されるのを見て、気の毒なようないい気味なような気がしたのを覚えている。(でも自分も罵倒された。というか褒められた者はひとりもいなかった。)

これには保護者からの苦情が相次いだと、母から後で聞いた。


そして秋の暮れ、この先生は自殺した。忘れられない思い出である。

2013-01-19

センター試験の思い出

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私は浪人したのでセンター試験を2回受けている。いずれも、京大のD、E号館で受けた。センター試験には色々な思い出がある(同室の人が窓の開閉をめぐって試験中に喧嘩を繰り広げるなど)が、とりわけ覚えているのは、二年目の数学IIの思い出である。


私は、浪人できるのは一年だけということになっていたので、この年はよく言われる「泣いても笑ってもこれで最後」という、後がない状態で挑んだセンター試験であった。

悲劇数学IIの時間に起こった。

いや、べつに悲劇でなくて、単に、問題がぜんぜん解けなかったというだけのことのやった。つまり単に、難しかったのである。

それぞれの大問の最初のほうを1、2個ほど解いたところで、さっぱり解けなくなり、途方にくれてしまった。(できない……一年間勉強してきたのに全然できない……いままでの勉強はなんやったんや……これがたった一度のチャンスやのに何もできない………) 

60分が過ぎるあたりで、わたしは本格的に絶望し始めた。そして、考えた。

(一問も解けず、何もできないまま、時間だけが過ぎてゆく… ああ、人生って、こうなんかな…… )

ぜんぜん入学試験中に考える必要のあることでは無い!!

実際、そんなことを考えている間に必死で問題を考えれば、一問や二問、解ける問題もあったであろう。だが、

(ああ、解かなきゃ、と思いながらも、何もできないまま時間が過ぎてゆく。死ぬ前もこうなんかな? 人間は死ぬ前も、何もできないな、何もできないまま死ぬんやな、って思いながら死んでいくんやろうな… ああ~)

とか考え始めたら止まらなくなり、まったくそんなことを考えている間に一問でも解けばよいのだが、90分のうち実に30分を人間の生死についての絶望的な思索に費やし、まさに何もしないまま試験時間を終えたのであった。


その日は、いつか来る死のことを考えながら、暗い気分で帰った。

(完)

2012-11-10

産婦人科色々

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なぜか、産婦人科の思い出を書くことにする。例によって、だからどうだということもない話である。


もう五年ほど前のことだが、諸々不調が起こり、婦人科にいくことになった。

婦人科に行くのは子供のとき以来だった。子供のときというのは、小学生のときで、なんや胸が痛いと訴え、病院に行ったのだった。いつもの小児科にいったところ、「これは乳房隆起の痛みですから、産婦人科です」といわれ、産婦人科に回された。7、8歳くらいで(当然ながら)まだ子供という意識しかなかったので、「お、おれが産婦人科!!??」とめっちゃ違和感を覚えた記憶がある。

わたしは発育が早かったのである(だが、その分早く止まり、今に至る。)


まあそんなことはどうでもいいのだが、とにかく、婦人科に行くことになり、子供時代以来だったので、どの医者がいいやらさっぱり分からず困った。チャリで行けそうなところをいくつかネットで検索し、その中で、サイトに「患者様である女性の立場に立った気遣いを実行している医院です」的なことが書かれているクリニックを見つけ、そこにすることにした。今思えば、そんなことは、だいたいどの病院のサイトにも書いてあるのであるが。


クリニックは、意外に古そうな建物であった。だが雰囲気は悪くなかった。受付で問診表を渡され、書かされた。だがこの問診表、数十年前で時が止まっているかのようなフォーマットであった。「パートナーはいますか?」という問いに対する答えが、

既婚・いない・婚約中

の三択なのである!

言いたいことは分かるが… これは「婚約中」に○すべきなのか…… 悩んだ。

更に、待合室で問診表を書いている間、診察室の声がめっちゃ聴こえてくる!! 古い建物だからかつくりがすかすかで、声が筒抜けなのである。「やっぱり性病ですか?」という声や、旦那との性生活について相談する声が、聞くつもりはないのに聴こえてくる!


やがて診察室によばれ、わたしの番になった。少し話をしたのち、医者が重々しい声音で宣告した。

「申し訳ありませんがやはり……内診をしなければなりません!」

内診は、産婦人科において、たいてい患者にとって抵抗あるものとされている。内診を受けるのはイヤだ、恥ずかしいという女性も多い。だが私はそんなに抵抗がないほうである。しかし、医師は引き続き深刻な声で内診の必要性を説き、「大丈夫です、力を抜いていれば、すぐ終わります、怖くありません」と昔のエロ漫画のようなことを言った。


内診台に乗った。内診台というのはだいたい、顔と下半身の間にカーテンのようなしきりが設けられている。よって、医者からは患者の顔が見えず、患者からは診察されている自分の部位が見えない。患者側の抵抗や羞恥心を軽減するための設備である。

そして診察が始まった。うっかり「痛っ」とこぼすと、なんと、医師と看護士が声を合わせ、

「大丈夫~、力を抜いて~。ハイ。大丈夫~、力を抜いて~。ハイ」

という、ゆるい節のついた合唱が始まったのだった!

そういえばサイトに、「患者様の立場に立ち、不安をやわらげるための声かけを実施しております」とか書いてあったことを思い出した。「声かけ」ってこれのことやったんか!! 「(こんなことに力を入れるより…)」 私は思うた。「(防音をちゃんとしてくれよ……)」


内診が終わり、診断が告げられた。「(この声も待合室に聞こえてるんやろなア…)」とおもった。医師は私の目を見据えながら言った。「私たちは、貴女が何か悪いことをしたとは思っていません。この病気は、悪いことをしていなくてもなるのです。幼い子や未婚の人、何も悪いことをしていない人もかかるのですよ」。医師の言葉に合わせ、後ろに立った看護士さんが、ウン、ウン、と深く頷いてみせた。

「(いや、うちもべつに何か悪いことをしたとは思うてませんけど……)」

と思いつつ、目が泳いだ。

幸いこのときの病はすぐに治った。



それから数ヵ月後、また別の不調で、婦人科に行くことになった。前のところはなんかもうイヤだったので、違うところを探した。今度は、歓楽街の近くにあるクリニックだった。

「仕事何してるの?」

と訊かれ、当時学生だったので「学生です」と答えると、釈然としない様子でもう一度尋ねられた。後で知ったところによると、この先生は、性産業従事者の性感染症について研究している人であったので、風俗の業種を聞きたかったのだと思う。

症状を話すと、先生は、「ふーん、最近カレシ変えた?」と訊いた。先生、うちがそんなにモテそうに見えますか!? と心の中で問い詰めつつ、「いいえ」と答えると、「ふーん、じゃ、カレシ以外とセックスしたぁ?」と訊いた。

私は、前のクリニックでの、「貴女が何か悪いことをしたとは思っていません!」を思い出し、産婦人科もいろいろやなあ、とおもったのだった。

(なお、このときの不調は、前回にもらった薬の作用によるものであったことが明らかになった。)






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