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名菓アカデミズモとかわいそうな牛 このページをアンテナに追加

アカデミズモは、アカデミズムの裏庭。そこには亀たちが棲んでゐます。



もともとは「京都アカデメイア」スタッフのグループブログの一つということで始めたブログですが、現在は個人的な雑記として用いています。心にうつりゆくよしなしごと等を記録することとします。

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2018-05-18

汚さの処理を知りたい

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いつの頃からか分からないが、自分について、汚い、という感じがある。綺麗な服とかかっこいいものとか、見ているといいなあと思うのだが、自分で身につけようとすると、「こんな自分が着るのはなあ」と避けてしまう、ということがよくある。似合わないとか汚してしまう(物理的・心理的に)とかいう感じがするのである。

音楽が好きな人はよく好きなバンドのTシャツなどを着ているが、私はアレが長い間できなかった(今でもあんまり着ないけど)。好きなものを、このような汚い我が身につけるなんて、なんだか畏れ多く感じる。



といっても別にこれは病理的な強迫観念とかではなく、人間なので普通に汚いわけである。老廃物も溜まるし、排泄もするし、なんかいろいろ分泌もするし、心の中にも汚いものは渦巻いているし、それで当たり前である。

ふしぎなのは、そのように汚いのがデフォルトであるはずの人間の中に、汚くないように見える人がいることである。


しばしば少年漫画などで、女の子のキャラクターが、汚れなき天使のように表象されているのを見ることがある。「いやいや、こんな女の子いねーよ」と思うのであるが、私も、キラキラとした若い少女や堂々としたモデルさんなんかを見ると、この人たちはどうしてこんなに汚さとかけ離れているのであろう、と思ってしまう。

老廃物とも分泌物とも無縁の存在であるかのようだし、心の中にも一切の邪念がないかのように見える。

だがもしかして彼女たちも、私と同じく、自分が汚いという感覚を抱えていたりするのであろうか。



私の場合、はっきりとこうした感覚が生じたのは、おそらく第二次性徴の頃であろう。皮下脂肪が増えてぶよぶよとした身体になったこと、体からどろどろした血が出てくること、急激に皮膚が荒れ始めたこと、など、ショックの連続であった。自分が刻々と汚くなってゆき、「もうツルリとした子供の身体を失ってしまった!」という断絶を感じた。楳図かずおの漫画に、小さなホクロのような痣が全身に広がって次第に醜くなっていく病に罹った姉妹の話があるのだが、第二次性徴の頃のショックはまさにあの姉妹の嘆きそのままであった。その後長い時間をかけてそうした嘆きと折り合いをつけられるようになったけれど。


キラキラした彼女たちはそもそも、そんな嘆きとは無縁に生きてきたのであろうか、それとも、彼女らもそんな嘆きを経験しながら、それを克服してキラキラとした輝きを放つすべを身に付けたのか。そうであれば、そうした人たちがどのように「汚さ」を処理しているのか、ぜひ知りたい。





パンツが可愛くなかった

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高校生の頃、河原町通りを歩いていたところ、大学生風のお兄さんに声をかけられ、「自分は美大生で、作品を作るのに協力してくれる女子高生を探している。街角の女子高生のスナップをたくさん撮って、パッチワークのようにして大きなオブジェに貼り付けるつもりだ。一、二枚撮らせてくれないか」というようなことを頼まれた。


私は自分も絵を習っていたので、「作品のため」と言われると協力せねばならないような気持ちになったが、写真を撮られるのは苦手であったので、返答に詰まった。また、彼はおそらく、キラキラきゃっきゃした女子高生たちをパッチワークにしたラブ&ポップな作品を作りたいのだろうが、どんよりした自分がそんな中に入れられては違和感を醸してしまうのでは?


もごもご言っていると、お兄さんは「別に自然な写真でいいので、そこらへんで一、二枚撮るだけなので」と言うので、「それなら……」とOKした。人通りの多い白昼であったので、おかしなことはされないであろうという安心もあった。お兄さんは本屋の裏に私を伴い、そこの階段に座るよう指示した。(今は亡き駸々堂とビーバーレコードの裏の従業員用階段であった。今思えば駸々堂の人に言いつければよかった。)

私が階段にぼてんと座ると、お兄さんは「自然な写真でいい」と言うたわりに、「膝をくっつけて足をハの字にして、頬杖をついて」などポーズ指定をしてきた。協力をすることにした手前、イヤとも言いづらく、指定の通り無駄に可愛いポーズをとった。彼は今度は、「じゃあ頬杖をついたままニコッと笑って、もっともっと」と表情まで指定してきた。

私は自棄になってニコッと笑った。普段そんな可愛いポーズで人に笑いかけることはないので、非常な違和感であったが、お兄さんはパシャパシャシャッターを切った。こうなるともう、自分がプロ根性で相手の指示をこなすモデルのように感じられたが、プロ根性も何も、別に金をもろてるわけでもなく、単にさっき会ったばっかの知らん人であるし、ニッコリしながら「(うちは何をしてるんや……)」という気持ちになってきた。こちらは「作品を作る人を応援しないと」的な義務感から応じたことであったが(よう考えたら相手はそんなの知らない)、彼には私が単に「女子高生の一人」に見えてるんやなあ……。


そんなことを考えていると、彼は、

「じゃあ次はそのまま、パンツを見せてみよっか」

と言った。


私は一瞬迷ったが、

「いや、それはダメです」

と答えた。

可愛いパンツを穿いていたら、金をもろてるわけでもないのに見せたくもない笑顔を見せた延長でパンツくらい見せたかもしれないが、この日私は、母がおばちゃん洋品店で買うてきたヘソまであるような白いズロース風パンツを穿いていたのだった。ズロース風パンツは穿きやすくて快適なのだったが、可憐さは皆無であった。

男は、「いやらしい写真じゃなくて、チラッと可愛く見せるだけだから」と言ったが、可愛く見せるだけも何もパンツが可愛くないのである。

「いや、ダメです」

私はパンツ見せを固辞した。何度か押し問答が交わされ心折れそうになったが、パンツが可愛くないということが、パンツ見せに対する強力な抑止力となっていた。

「真面目なんだなあ、カタいんだねえ」

というようなことを言われたが、真面目も何もパンツが可愛くないのだった。女子高生のパンツがそれほど可愛くないとは、彼は想像もしていないのであろう。

「他の子はみんなけっこう気軽に撮らせてくれますよ?」

男が図々しいことを言い始め、私は「みんなこうしてるよ」とか言って説得しようとするやつは信用ならねえと思っているので、というか最初から信用ならねえことに気づくべきなのであるが、「そういうことならこれ以上協力できん、さらば」的なことを言い、新京極通へ走って逃げた。




それにしてもこの頃はやたらこういう、「女子高生の写真/映像でパッチワーク的な作品を作ってる」やつに声をかけられた。なぜ人は女子高生でパッチワークを作りたがるのか。今でも女子高生パッチワークは流行り続けているのだろうか? 美術界は女子高生パッチワーク作品を禁じ手にしてはどうだろう。まあ本当に彼らが「作品」を作っていたかどうかがそもそも怪しいのであるがそこはどうでもいい。

oinfreakoinfreak2018/05/19 01:35「膝をくっつけて足をハの字」ポーズだと、残念ながらその時点でパンチラ写真を撮られてしまった可能性大ですね……。でも足の隙間から「△」が見えたくらいなら可愛くないパンツかどうか分からないので、お兄さんのオカズとして大いに貢献したのではないでしょうか(笑)

may_camay_ca2018/05/19 20:30どなたか知らん人に「オカズにされてましたよ」と言われるのは、パンツの話を書いたのは外ならぬ己とはいえ若干気持ちの悪いものであるが、ともあれ当ブログ7年ぶりのコメントを有難うございます。当時の写真を自分では持っていないので返してほしいものです。

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