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名菓アカデ◎ミズモのかわいそうな牛 このページをアンテナに追加

アカデミズモは、アカデミズムの裏庭。そこには亀たちが棲んでゐます。



もともとは「京都アカデメイア」スタッフのグループブログの一つということで始めたブログですが、現在は個人的な雑記として用いています。心にうつりゆくよしなしごと等を記録することとします。

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書評『摂食障害の語り 〈回復〉の臨床社会学』
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2014-12-31

私がオバさんになっても(10年前について所感)

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10年前の今ごろ、私は26歳を目前にしていた。

26歳は私にとって特別な鬱年であった。母が私を産んだのが26歳だったからだ。自分はとうに生殖年齢に達しているのだ、ということを嫌でも感じさせられる年であった。

だが私は、産む産まないを考える前に、完全に「女性性」を(昨今よく用いられる表現でいえば)「こじらせて」いた。「女性性をこじらせる」ということについて厳密に記述しようと思えば面倒なことになるのでここでは「こじらせる」という表現の絶妙さに頼ることとしておくが、女であることをめぐる諸々の病理や違和感や欲望と上手く付き合えていなかった、くらいのことと思っておいてほしい。


ネットには、同じく、こじらせている女の子たちがいた。

私は日々、彼女らのサイトやブログ(というものは当時まだマイナーで「ウェブ日記」とか呼ばれていた)を巡回していた。

彼女らは、いわゆる「ネットアイドル」だったりした。

自分と同じ年頃、25歳前後の彼女らは、「アイドル」というには年かさで、また心理社会的には既に「アイデンティティ」を確立していてしかるべき年齢のはずであったが、皆、自分が何かになれること、自分が特別であることを未だ夢見ているように見えた。そして自分と同じく、女であることをめぐって何かの困難や何かの問いを抱えているように見えた。そしてその問いが、症状に転化しているように見えた。

川村邦光のいう「オトメ共同体」のようなものを、私はそこに見ていたのだけれど、だが戦前の少女文化の中に川村が見出した「オトメ共同体」とは異なり、オトメたちは相互の紐帯を築いていたわけでなく、バラバラに存在していた。皆それぞれが、星座を成しつつ孤立して瞬くお星様のような存在であった。そして私は差し詰め、お星様を下界から見上げるだけの存在だった。彼女らに共感しながら声をかけることはできず、まさにアイドルに焦がれる少年のごとく一方的に覗き見るばかりであった。私は彼女らに共感しながら、自分が「彼女らのネガである」ような感覚を覚えていたのだった。その感覚は何だったのだろうか。


耽美的なポエム。微妙な笑顔の自分撮り。無表情で口を半開きにした自分撮り。ロリータ・ファッション嶽本野ばらYUKICocco。林檎。の模倣。彼氏とのセックスの記録。服薬記録。加工されたハルシオンのシートの画像。加工されたリストカット後の画像。加工された裸の画像。心配してくれる彼氏。当時出現したばかりの言葉でいえばいわゆる「メンヘラ」たちといえるのだろうが、この語は雑なので使いたくない。たしかにそのサイトやブログにはヒステリー的(古典的意味での)雰囲気が漂っていたけれども、「お星様」であることは、実際の精神医学的診断的な健康不健康とはとりあえず関係がない(また診断がついていたとしても多様であろう病態を「メンヘラ」の一言で包括するのは至極乱暴)。或いは健康不健康をいうならば、当時の私もけっして健康とは言えなかっただろう。

そうか、私たちは同じ世代の似た病みをもった者たちだったのだろうが、アクティング・アウトするか否かが分かれ目であったのかもしれない。ここでいうアクティング・アウトとは、何というか、身体を使って自分をショー化してみせること、それによって「特別な私」へと飛躍する(しようとする)ことだ。私はアクティング・アウトできなかった。身体を使えなかった。それゆえに私は彼女らに、「私のポジがあそこにいる」という一種のねたましさを覚えたのだと思う。


むしろ、自分自身と自分の身体や自分の外見のあいだに溝があってそれを越えられない、それが私の難儀さであった。一方お星様たちは、それらがぴったりと埋められているような(埋めようと行動化しているような或いは予め埋められているような)、そんな感じを覚えたのだった。

私が強烈に覚えているのは、やはり同年代の、或る女性のブログだった。

彼女に恋し振り回されたことによってひとりの男性が破滅した(らしい)とき、彼女は、

ファム・ファタール――運命の女」

と書いており、それを見たとき、負けだ! と思った。

私は永遠に彼女らを、下界から見上げ続ける者でしかあれないだろう。私は永遠に彼女らに負け続けるだろう。だって私は、自分のことを絶対に「運命の女」とか書けない。自分のことを書くのに「――」とか使えない。全角のダッシュはふたつ、と考える、"ダッシュ"と打って変換キー、と考える、考えるところにどうしても溝ができてしまう。その溝に陥らずに居られない。溝を乗り越える身体性が私にはない。でも彼女にはその隙間がない! 隙間のある者は隙間のない者の崇拝者や目撃者でしかあれないのであり、永遠に負けるのだ。 私は、貴女のネガでございます。


ところが、30歳を越えた頃から、彼女らのサイトの様子が変わり始めた。

30歳を過ぎても、私は時々彼女らのサイトやブログを覗いていた。中にはネットの世界からいなくなった人、名前を何度も変えてるうちにとうとう見つからなくなった人、何人かの人はほそぼそと、自分の情報をupしつづけていた。

更新頻度もサイトにかけている熱意も以前より下がり、彼女らはそれぞれ、結婚したり出産したりしていた。内容は、以前のような、苦悩を耽美的に綴ったものや音楽や本やドールの話から、安定した日常の細々とした幸福に移っていた。

安定するのは良いことだし、苦悩していた女性が歳をとることによって精神的平穏を得られるのは悦ばしいことだと思う。だが私は、「なんだよ!」という気持ちになったのだった。

「運命の女」だった彼女も母親になっており、「若い頃は馬鹿なこともした」とまるで遠い昔であるかのように過去を述懐していた。「なんだよ、私だけかよ」と、私は取り残されたような感を覚えた。なんだよ、私はまだこじらせているというのに!

繰り返すが、私が一方的に彼女らのサイトやブログの読者であっただけで、直接的な関係は何もない。よって完全に私の関係妄想なのであるが、私はまるで「彼女らが私を踏み台にして幸せになった」かのような寂しさを覚えたのだった。



……が。この一年、そうした気分もすっかり薄らいでしまった。

何故そんな関係妄想じみた思いを抱いたのか、その思い自体は覚えているけれどもその感じがもうリアルに思い出せないし、私もすっかり細々とした幸福を垂れ流す側に堕落した(そう、未だ「堕落」と感じてしまうのであるが)。

何故見知らぬ人に対してあんなにも、「私のポジがいる」という強い思いを抱いたのか、と不思議に思う。冷静に考えれば、自分とはなんの関係もない他人じゃないか。

打撃を受けたかつてのブログなどを思い出しても、何故そんなに打撃を受けたのか、もうリアルには思い出せない。おそらくその、存在の強度にアテられたのだろうが。

という意味で、今年は自分にとって、少女期(ずいぶん長い)の終焉を感ずる年であった。以上、私でない人にはよく分からない話かもしれないと思うんだけど、自分の感覚の変化を覚えておきたいので、自分用記録として書いておきたかった。

少女でなくなるとは健康になることだ。今、10年前に較べればとてもラクだ。が、同時に、何かを喪った気もしている。少女期以降は少女期の予後、と言ったのはたしか矢川澄子だが、少女期の予後不良は私のアイデンティティであり、それを切り貼りして何かを書いたりものを考えたりしてきたので、不健康を喪った自分に一体何が残っているというのか。と思うまたその一方で、しばしばあることとして、自然治癒した病理が更年期以降に復活するのでないかという危惧も抱いている。それに産む産まない問題はべつに今でも克服してないし。



アルバム『PAN』再訪(20年前について)

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去年に、友人のバンドが出るというので、ブルーハーツ縛りのコピーバンド大会に行った。バンドが10組くらい出るので、コピバンばかりそんなに観てもなぁ……と思っていたのだが、演奏者たちの思い入れが伝わる良いイベントだった。フロアの客たちが

僕たちを縛り付けて一人ぼっちにさせようとした

全ての大人に感謝します

1985年 日本代表ブルーハーツ

と喉を涸らして大合唱するのを見て(というか私も合唱に加わってしまっていたのだが)、「何やってるんやろ」と思いもした。われわれはもう既に「大人」やし、今は1985年じゃないし、そもそもお前らブルーハーツやないがな! そうだ、1985年からもう30年経っていて、48億のブルースは70億に膨れあがっているわけで、でも今でもまったく「今」のものとしてその音楽を愛してる人らがこんなにいるんや、ということが、なんだかとても不思議な気がした。

そのイベントで印象的だったことがあり、ブルーハーツメンバーのコスプレで出てきたバンドがあったのだが、演奏中にベースの人が上着を脱ぐと「幸福の科学」Tシャツが……!という小ネタがあったのだった。

勿論ライブハウスは笑いに包まれたのであるが、「ああ、こうして笑いに昇華せなあかんほど、ファンの間では未だもってトラウマなのだ!」と私は思ったのだった。ファンの間で語られるブルーハーツ解散理由のひとつは、ベースの「河ちゃん」の宗教問題だとされている。



私は14歳の頃、ブルーハーツが好きになり、それから一年くらい彼らのCDばかり聴いていた。

それまで、「リンダリンダ」などが流行っていることは知っていたけれど、クラスのイケてる子たちが聴くようなイケてる音楽なんだと思っていた。でも、ギターのマーシーのソロ『RAW LIFE』を聴いて詩情とユーモアアイロニーに衝撃を受け、バンドのほうも聴き始めたのだった。

STICK OUT』『DUG OUT』はぎりぎりリアルタイムで聴くことができた。テスト期間で午前中に下校できた7月10日、レコード屋に寄って買って帰った『DUG OUT』を聴いたときの幸福感は、今でも覚えている。ヴァージニア・ウルフの瑪瑙のボタン。

でも、『DUG OUT』を聴いたとき、子供心にも「このバンドは解散するんじゃないかな」とも思ったのも覚えている。こんな傑作を作ってしまって、この次に何をするのかまったくイメージできなかったのだった。でも、彼らのことだから、また何か新しい面白いことをするんだろう、とも思った。


それから2年のブランクを経て、解散アルバム『PAN』が出たのは1995年のことだった。

1995年の春のことはよく覚えている。地下鉄サリンが撒布され、オウム真理教強制捜査が入った。その日からマスメディアは、オウム一色になったのであった。

ご多分に漏れずオウム情報の中毒になった私は(ちなみにこのオウム体験はのちの自分史に影響を及ぼし続けるのだがそれは今は措いておく)、日々オウム情報を求めて本屋に通っていたのだが、ちょうどその頃、ふらりと入った本屋で、ブルーハーツのインタビューが載った音楽雑誌を見つけた。その頃はもう、以前ほど、彼らの音楽ばかり聴くという状態ではなかった(し何よりもオウムのことで頭がいっぱいだったのだが)、「復活!ブルーハーツ」の文字に、あ、解散するのかと思ってたけどまた何か始めるんだー、と頁を繰った私が目にしたのは、思いもよらない発言だった。

「僕凄い信じてるものがあって。まあそれは大川隆法幸福の科学っていう宗教団体なんですけれども」

ロッキングオンJAPAN、1995年6月号)


!??

ベースの河ちゃんのインタビューであった。この発言に対してインタビュアーからの直接的なつっこみは何もなく、そのまま話が流れてインタビューは閉じられていたので、それが、冗談なのか本当なのか分からないままであった。

幸福の科学って、「科学」って言ってるけどなんか胡散臭い宗教団体だよねえ? あの『太陽の法』のやつだよねえ? くらいの認識はあり、またオウム報道を通じて、大川という人が麻原と前世合戦を繰り広げたとかそういうことを耳にしてはいた。まさかあのバンドのメンバーが、そんな胡散臭そうなものを信じるとは思えない。なんといっても「神様に賄賂を贈り天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか?」と歌った人たちである。が、冗談を言っているふうでもないし、だいたいこの時期にそんな冗談を言う理由もない。(後で知ったところによると、既にファンの間では彼の信仰は有名だったらしいが、私はライブにも行ったことがなかったしファン友達も身近にいなかったので知らなかった。)


その半月ほど後だったであろうか、文通(!)をしていたファンの子から、「ブルーハーツ解散するんだって」とわざわざ電話があった。私は、どっぷり聴いていた2年前は、「このバンドが解散したら自分はどうなってしまうのであろう……」とまで思っていたのに、さほど驚かず、「そうかあ」と思った。

雑誌の翌月号は、ブルーハーツ解散号であった。巻頭インタビューで河ちゃんは、「解散にあたってメッセージ」を問われ、こう答えていた。

インタビュアー 「で、ファンの人にメッセージをくれって言ったらヒロトマーシーもドライなんだ。あったかいのをお願いします。」

河口 「……まだ先のことは全然決まっていない。でもどうするか考えないとね、無職ですから(笑)。ただ一番みんなに伝えたいことっていうのは、やっぱりいまお釈迦様がこの地上に降りられてると、仏陀が下昇されてってことかなぁ(笑)。それも、この日本で。だからそれが大川隆法大先生であり、ほんと先生に出逢えて……感無量です! 感謝してます、ありがとうございます、としか言えないですね(笑)」

ロッキングオンJAPAN、1995年7月号)

そこでインタビューは終わっていた。

「本気やったんや……」と私は思った。



新しいアルバム『PAN』をとりあえず発売日に購入はしたものの、いつもの、新しいCDを再生するときのわくわく感はまるでない、変な感じだった。

歌詞カードを開いてみると、メンバー全員で写っている写真は一枚もない。メンバーそれぞれの写真は、それまでとファッションや写り方も微妙に違うようで(マーシー除く)、なんだか知らないバンドのようだ。河ちゃんページには、おそらく宗教的な主張を表わすなんだか不気味な写真もあった(当時は分からなかったが、今見ると、マルクス主義ダーウィン主義への批判象徴的に表現されている写真である)。

それまで慣れ親しんで聴いてきたバンドが急に別ものになったようなよそよそしさを覚えた。

オウム事件の中での離人感とあいまって、あの変な感じは未だに曰く言い難い。


『PAN』は、名義は「ブルーハーツ」だけれども、四人で演奏している曲は一曲もない。

四人がそれぞれ個別に作詞作曲し、バンド外のメンバーと演奏し、それぞれがヴォーカルをとった曲を寄せ集めたアルバムである。(ジャケットはビートルズホワイトアルバムを模してある。)

インタビューによると、もう四人で演奏する気にはなれないもののレコード会社との契約が残っていたために、こういう形で作らざるをえなかったようだ。


一曲目はいきなりドラムの梶くんの「ドラマーズ・セッション」で始まる。その名の通り、ドラマーたち(当時の有名ドラマーが集められている)のセッションである。これについてのおもしろ発言として、やはりブルーハーツファンであった友人は、「今やったら面白さが分かるけど、俺、当時は音楽っていうのはメロディがあって歌があるものやと思ってたから、『いつ歌が始まるんやろ?』て思いながら7分聴き続けてた」と語っていて笑った。たしかに私もそうやった! 二曲目はヒロトの曲「ヒューストンブルース」。これは、当時ヒロトが別バンドで演奏していた曲で、今聴くと凄くかっこいいのだが、当時、ブルーハーツヒロト曲には無かったパターンの曲であった。マイナー調でブルースぽく、やばい感じ。ハイロウズを経た後では、「ああこういうのがこの人は好きなんだな、ブルーハーツで見せてたポップ性は彼の一面に過ぎないんだな、こういうのがやりたかったんだな」と分かるのだが、それまでのブルーハーツのイメージと違い過ぎて、これもなんだか分からなかった。とにかく「なんか暗いし怒ってる!」という印象だけであった。

そして、河ちゃん以外の三人の曲が三曲ずつ織り交ぜられながらアルバムは進み、最後に河ちゃんの曲だけ四曲まとめて収録されている。当時の私はもう、それらの楽曲群に対して、脳の処理が追いつかなかった。

こんなめちゃくちゃなアルバムを、当時多くの中高生ファンたちが買って聴いたのかと、今思えばシュールすぎる。おそらく多くの人が、私や友人のように、なんかわけのわからんままそっとCDを抜き取り、しまい込み、ときどき「歩く花」(※アルバム中で唯一ブルーハーツぽい曲)だけを聴くために取り出すのみになったであろう。こうして『PAN』は、みんなのトラウマとなった。


で、今年、そのトラウマ語り会をしたことをきっかけに、『PAN』を改めて聴いてみた。

結果、当初聴いたときよりも更に、めちゃくちゃなアルバムであることが分かった。

こんなアルバムは世間にそうはあるまい!!


まず、ヒロト曲は、今聴くとめっちゃかっこいい。「ヒューストンブルース」は当時は分からんかったけど、アルバム中一番かっこいい。だが、何故、「ヒューストンブルース」(やばくてかっこいい)「ボインキラー」(やばくてかっこいいんだけどふざけてるようにしか聞こえない)「歩く花」(急にほのぼのとして往年のブルーハーツ風)の三曲をセレクトしたのか、意味が分からない。どういう方向性を目指しているのか、見えない!

梶くんの曲は、微笑ましいしドラムのアレンジなどはそれまでのブルーハーツになくて面白いと思う。でも、普通なら世に出ないレヴェルと思われる。

マーシー曲は、この人だけがいつもの安定感であった。それまでもソロアルバムを出していたからか、切なさを湛えた独自の世界観で完結していて、ブルーハーツぽくはないけど普通にいい。今回、指摘されて初めて、「もどっておくれよ」(終わった恋への後悔の歌)→「バイバイBaby」(「思い出だけがきらめくようじゃ白けた人になりそうだ」)→「休日」(「いつの日かこの街を出ていく僕等だから」)と、解散を受け容れるような曲順に配列されていることに気づいた。別に意図してないのかもしれないけど。ストリングスのアレンジも、今聴くととてもきれいでぐっとくる。ただし、このアレンジに金をかけて赤字を出したため、低予算で仕上げた河ちゃん(※幸福の科学の人の助けを借りたから)のわがまま(自分の曲だけ最後にまとめて入れたいという希望)を受け容れる羽目になったという説があり(wikipediaによる説なので真相は不明だが)、友人曰く「『戦闘機が買えるくらいのはした金ならいらない』って歌ったバンドの最後が!金に勝てへんかったとは!」。


そして、最後にまとめられたその河ちゃん曲。

当時は脳がシャットアウトしてしまっていたし、「そうは言ってもさすがに、ブルーハーツ名義で出す音楽にそんなこと(教義云々)は反映させないであろう」という思いもあったのだが、今聴くと、あまりにもあんまりである!!


宗教音楽風のイントロ(なんでこう荘厳な感じになるのであろう)で始まる「幸福の生産者」では、

Right Right Right

Right Mind


世界中の心に 今も輝いてる

誰もが皆憧れてる 幸福の生産者


奪い合うものには後に 悲しみが待ち受けている

取り戻そう叡智を この世に神の夢

遥か彼方に超える夢 (念いに)涙は溢れてきた

とか歌っている。

まず「叡智」という言葉がブルーハーツの歌詞に出てきたことに驚きを覚えたが、それどころではない。当時は「いや、音楽を創り出してファンを幸せにしてきた自分たちのことを歌っているのかも!」と解釈しようとがんばっていたものだが、いやいや、「幸福の生産者」って明らかに隆法やん。「誰もが皆憧れて」ねえよ!!

「Good Friend(愛の味方)」はなんかねばねばしたヴォーカルがちょっとむかつくものの、ギターソロはかっこいいし、アップテンポでいわゆるブルーハーツパブリックイメージっぽい曲。だが、

最悪の事態にならなけりゃ 君は目もくれない

死んだらそれで 何も無いさと わかったふりをする

わかったふりして 暮らしても ふりに振り回わされ

廻るはずの大切なことを 止めてしまうよね

説教!!

おそらく、他のメンバーに対する説教!

(ちなみにずっと、「廻るはずの大切なこと」て何だろうと思っていたが、今回「輪廻」のことか!と気づいた。ああーー)


で、これに対して「ヒューストンブルース」は、

天国なんかに行きたかねえ

神様なんかに会いたかねえ

である。ロックの常套フレーズとはいえ、当時の別バンドでのライブverを聴いているとこの部分は本当に怒った声で叫ぶように歌われており、ぞわぞわする。

さらに、「Good Friend」が、

信じてゆく心 この世 あの世 つらぬいて

と歌えば(これも今回知ったが「この世とあの世を貫く幸福」は幸福の科学のキャッチフレーズである)、「ヒューストンブルース」は、

生れ変わったら ノミがいい

生れ変われるなら ノミにしてくれ

である。

一枚のアルバムの中でメンバー同士で大喧嘩!! ラモーンズKKKどころの喧嘩ではない。こんなアルバムは滅多にないのでないか?


勿論両者とも「これは○○のことを歌った」などとは明言していないし、たとえばインタビューしてみたならきっと、「音楽と実際の私生活は関係ない」と言うだろう。当人たちのキャラも、思想の是非をめぐって喧嘩しそうなキャラではない。解散も、当人たちによって「宗教が原因」と語られているわけではなく、単に「このバンドでこれ以上のことができるとは思えないから」というように語られており、それは別に綺麗事でなく、本当に当人たちの感覚としてはそういうことなのだろうと思う。

だが、人情として勘繰らずにはいられないし、今聴くといっそう明らかに、もう殴り合いにしか聞こえない。こんなものが、「リンダリンダ」や「トレイントレイン」といった、ポップなヒット・ナンバーを産んだ「ブルーハーツ」の名義で出されていたのだと思うと、今となってはシュール過ぎて、面白くてならない! 前衛的すぎるよ……


さらに喧嘩は場外乱闘に至り、音楽雑誌に寄せた新アルバムについてのコメントの中で河ちゃんが

ヒューストンブルース」は、神や輪廻を信じないというヒロトの無知な部分によって作られた曲であり、ファンの皆さんに申し訳ない。

といったようなコメントを寄せているのを本屋で立ち読んだ私は、いったい何が起こっているのか理解できず、事態についていけないまま、雑誌を棚に戻しふわふわと本屋を去ったのであった。


「さよならする、ダサい奴らと」と歌ってザ・ハイロウズがデビューするのは、麻原も逮捕されてずいぶん経った、その年の秋のことであった。

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