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名菓アカデミズモとかわいそうな牛 このページをアンテナに追加

アカデミズモは、アカデミズムの裏庭。そこには亀たちが棲んでゐます。



もともとは「京都アカデメイア」スタッフのグループブログの一つということで始めたブログですが、現在は個人的な雑記として用いています。心にうつりゆくよしなしごと等を記録することとします。

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京都ぬるぬるブログ
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書評『摂食障害の語り 〈回復〉の臨床社会学』
書評『勝手にふるえてろ』



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2013-06-13

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エレファントカシマシの「デーデ」という曲があって、この間のアカデメイア・カフェで、「お金があれば幸せか」という話をしていたとき、それが頭の中で流れた。


悲しい事あっても 1人きりになっても

金があるじゃないか 金があればいい

もしも君に友達が 1人もいないなら

ふぬけたド頭 フル回転 金が友達


そう、ちょうど(あ)氏の発言と裏表になるわけだけど、「お金があれば、人から嫌われてても友達がいなくても或る程度なんとかなるなあ」とおもって、「幸せになれる派」に挙手のだった。

嫁姑介護問題とか、これまで自分の稼ぎがないばかりに家庭の中で我慢してこざるをえなかった女の人たちのことを考えると、それってけっこう重要なことではないかとおもう。

もちろん自分も、金がなくても幸福感を感じられるのが一番良いあり方であるし、外貨を稼げない(稼がない)人も卑屈になったり惨めな思いをしたりすることのない世の中が一番理想であると思う。

が、「では脱成長でも幸福になるにはどうすればいいか」という議論のとき、どうしても「人のつながりが大事」という話になってしまい、そして今のところその「人のつながり」は、その中で或る成員を卑屈にさせたり惨めな思いをさせたりということから自由でないと思う。

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