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名菓アカデ◎ミズモのかわいそうな牛 このページをアンテナに追加

アカデミズモは、アカデミズムの裏庭。そこには亀たちが棲んでゐます。



もともとは「京都アカデメイア」スタッフのグループブログの一つということで始めたブログですが、現在は個人的な雑記として用いています。心にうつりゆくよしなしごと等を記録することとします。

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2011-03-10

思春期病

| はてなブックマーク -  思春期病 - 名菓アカデ◎ミズモのかわいそうな牛

思春期病が30を過ぎても治らないとはおもわなかった!!

もうどちらかいうと老境に近いのに、こころはちゅうがくせいである。


なんかスイッチが入ると、

じぶんのダメポイントをあれダメこれダメと思い続け(内容を書くとむなしくなるうえに「その通りだ(分かっていながら何故直さない)」と思われるのがイヤなので詳細は省略)、最終的には、「じぶんの容姿が嫌だ」というところにたどりつく。さすがにもう、「容姿がなんとかなれば他もなんとかなるはず」とか阿呆な勘違いはしないが、ダメポイントが象徴的に外見に集約されてるよーな気がするんである。わたしは特にじぶんの体型が嫌いなのだが、よくもまあなんでこんなかたちでこれまで生きてこれたのか? こんな気持ちの悪いかたちで生きるなら死んだほうがまし、とおもう。

という病気がときどき起きる。10~20代の頃にくらべて発症頻度は減ったが、12歳くらいから延々と繰り返っている回路や。


10~20代の頃、こういったことを吐露すると母が、

「若い頃は自分の容姿があれこれと気になるものだ。30になると気にならなくなる」

と言っていたので、30歳になるのを心待ちにしていたのだが、相変わらず治らないではないか、と先日文句を言うたところ、

「それは結婚してないからだ」

との返事。

詐欺やとおもた。




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スタッフブログにも書いたけど、5日の山の学校コラボ授業に聴衆として参加させていただいた。

(も)くん&(あ)さんともに、分かりやすくかつ熱い講義だったし、いろんな層の聞き手がみんなでわいわいできたのもとてもよかった。わたしはやはり、ディスカッションって感じのふんいきより、茶話って感じがすきだよ。

ビラを見てきてくだすッたという、全然知らない方と話せて、うれしかった。

お山は、園児の絵とか幼稚園グッズがたくさんでなごんだ。夕陽がとてもきれいだった。便器の小ささにノスタルジ。

(思い出したこと:わたしは幼稚園児のころ一人でトイレにいけずドアをしめて用を足せなかったので、トイレにいくとき、誰か一人「トイレのドアもち係」がついてきてくれた。)



レポ的なことはスタッフブログのほうに書いたので個人的な感想。

これからの日本経済の行方について、(も)先生が大きく四つの立場(公共政策派・構造改革派・リフレ派・脱経済成長派)を思想史とからめて説明してくだすって、最後に、どの立場に共感できますか? という問いに対し皆でおしゃべりしたのだが、「脱成長派」に挙手した人が大半だったことに、おどろいた。

わたしもそのひとりで、が、なんか理論的思想的な裏づけがあるわけでない、心情左翼ならぬ「心情脱成長」であって、「でも今の状態で脱成長とかいうても皆しあわせになれるんかいな経済成長を建て直せる方法があるんならそりゃそっちのほうが穏当かもね」くらいのあれだったので、そんなに多くの人に脱成長シンパシーが共有されてるとはおもわず、おどろいた。

もう多くの人が、「今までのやり方ではダメ」とはっきり感じているのやなアと思うた。

(と同時に、これって左京区的な現象なのかもとも思った。)


最後には、(大意だけど)「これまでの生産・消費の形でなくて、生産消費者みたいな形がこれからは増えるのでないか」「その中で必要に応じて収入を得ることができれば」「そのためには人と人とのつながりみたいなものが大事になっていく(ネットとか、まさに京アカとか)」みたいな話になった。(と思う。ちょっと正しくは忘れてしまった)

最後の発言は、たまたまビラを見て来てくださったという方のものだったのだが、しめくくりの言葉としてあまりにもぴったりすぎて驚いたほど。


こういう話って、NFのときにもちょっと出てたなーとおもった。というか、まあいつもしてる話だけど。それが、われわれの世代だけでなく、年配の人たちにも共有されてることに、驚いたのだった。


会のあとは、ひさびさにひらがなれた。ここ何度もひらがな未遂だったのでうれしい。うまい。



※※※


で、ここからは自分の話。

(も)くんの講義の最後では、そうやって、聴衆によって、「脱経済成長」の一種ユートピア的なイメージが提示されてしめくくられたわけやけど。

(もちろんユートピアといっても、みんなのうてんきにゆーとぴあゆーとぴあ!と言ってるわけでなく、現実的な困難があることや散文的な手続きが諸々必要であることはちゃんとふまえられているのだが、とりあえずユートピアと言わせていただくとして、) やはりわたしの興味のあるのは、そのユートピア的なものの中で異物になりうる病理とかよくぼうとかそういったものやなあ! とおもったのだった。


もうちょいくわしくいうと、ユートピア的なコミュニティをつくろうとするとして、しかしその中で、ぜったい発生してしまうであろう、個人的なよくぼうによってへんなことをしてしまうひととか、あるいは理想のためにうごいているようにみえて自己顕示欲や自己愛のためにうごいているひととか、に興味があるのやった。

それも、どうやったらそういうのを律することができるのか?ということにはあんまり興味がなくて、単に、そうなってしまうことに興味がある。(それでぶんがくとか、精神病理学とかに、興味があるのであろうとおもう。)

この興味はけっこう危険で、そういう変なひと変なことの存在って、反動的な主張に利用されがち。たとえば何らかの社会運動を批判するときに、「そんな立派なことを言ったってこんなことしてるじゃないか」とか「そんな立派なことをやったって動機は目立ちたいだけやろ」とか。だが、危険だからといって、変なひとや変なことを無視したくない。自分が変なひとだから。



話変わってまた、ついったーとかブログとか新しいメディアで皆がつながれてなんか新しいことが! みたいな言説について。

(あ)さんの講義の中でもついったーでのコミュニケイションについて触れられてたし、さいきん、そういったつながりが、ポジティヴなものとして語られることが多い とおもう。(ちょっと前まではネットを介したつながりって、出会い系がどうとか、空虚なもの・よくないもの・病理的なものとして語られることがほとんどだったのに。綿矢りさインストール』のあのラスト。)

それは基本的には賛成で、わたし自身もブログとかついったとか活用しているのだが、だが、わたし個人は、ブログとかついったとか活用するじぶんを、どっちかというと病理的なものとして感じてるのやった。


もちろん、それらを使って生産的なコミュニケイションがはかれたり知識を得られたりすることもあるのだけど、そっちはわたしにとっては副次的で、わたしはそれらを単に、自己顕示ツール、さびしんぼ解消ツールとして主に使っている。そんで、自己顕示欲のある状態、さびしんぼの状態は、じぶんにとって不健全な状態としてかんじられてるのである。

(これは、わたしにとっての理想的な状態・健全と感じられる状態が、他人を欲せず一人で自足できる状態であるからである。もちろん「人は一人では生きられない」のですが、そういうことではなく、なんちうか、自己愛のために自己愛のツールとして観客としての他人を欲するような状態が不健全。)よって、ついったやらブログやらになんか書かずにいられないというのは、どっちかというとじぶんの病理的なぶぶんとして日々感じているのんで、どうも「新たなメディアでコミュニケイション!」ムードにすなおにのれないというかすなおにのるには後ろめたさがあるのだった。

windupbirdwindupbird2011/03/14 02:54模擬授業楽しんでもらえたようでよかったです。京都アカスタッフブログのまとめもありがとうございました。何となくむらたさんにブログ書いてもらえたら…と思っていたので、実際に書いていただけて嬉しかったです。

「経済学の夕べ」では、僕も脱成長派の人があれだけ多かったのにはびっくりしました。時代の流れが大きく変わりつつあるのを感じますね。個人的にも2010年代は、脱成長や贈与・寄付・シェア・承認・コミュニティなどがキーワードになるのではないかと考えております。

しかし同時に、経済学をやっている(一応)者としてはこの状況に若干の危惧も感じます。飯田泰之さんの『経済成長って何で必要なんだろう?』などを読んで思ったのですが、ちゃんと経済成長できる分野にお金を回して、そのあがりをお金が足りていない人たちに再分配することもやはり大事なことなので。

しかし最後あたりに出ていた発言では、「これからは人の繋がりを創る分野にお金を投資すればいい」という意見が出ていて、おぉ素晴らしい、ちゃんとそこまで分かってくれているんだ、と感動しました。

またああいう機会が作れればなと思っております。これからの社会について、皆で前向きにわいわい議論する(しかも可愛らしい幼稚園で)のは楽しいですね。

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