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daisetsuの日記

2010-11-02

感想

03:13

夜中の二時、四条河原町のバーでカクテルを飲みまくった後にしては、ずいぶんと頭は冴えている。私は今日、東京における恩人と、4カ月ぶりの再会を祝っていた。会話は、予想外にまどろんだ。

私はそこで、初めて彼にドクターには進まない選択をしたことを話した。彼は一瞬顔をしかめた。ずっと私を支援してくれていたのは彼である。それはほとんど雇用関係を超えて、人間同士一対一の付き合いだったのだ。だが、彼は逆上することもなく、私にその考えを改めさせようともせず、一瞬間をおいて、こう話し始めた。

「君のその考えを否定するつもりはない。だが、君は、今君が考えているような将来のビジョンを、最もたやすく実現できたであろう学部卒での就職を棒に振ってまで、京都くんだりまで来て研究という道を選んだのだ。経済合理性から考えれば就職という道はもっとも妥当な道だろう。だが、もし金のことで就職を考えるなら、やめなさい。君をあと数年養うくらいの金なら、私が貸してやる。もちろん将来返すんだよ。でも金銭的なことからそういう選択をしたなら、それはバカらしいからやめることだ。」

私はこう言った。

「私はもともと、大学教授になろうという気はなかったのです。ではなぜ院に進学したのか。それはこれからの社会を変えていくうえで、どういう道があるのか、それをしっかり勉強したかったのです。社会の中でどういう構造的な問題があり、そのために何ができるのか、それをもう少し見極めたかったのです。私は宗教を生きたいと思っている。だから金銭的な悩みというよりも、私という労働力を、もっとも社会に有効に使いたかった。それは学問的な成果を上げることより、現実的に私という身体が使われることによって、社会の変革に貢献したかったのです。金などいらない。私は働く能力があるのに働かない人は嫌いです。また、自分が生きていく分だけ稼げばよいという一見謙虚な人間も嫌いです。働けない人の分までその人が働けばよいではないか。そういう風に考えています。だから就職するのです。」

「君がそういう風に自分で考えたのはそれでよい。しかし私としては、君が院に行って見出したものを形にしてもらうまで、君の就職は許さない。形にできなければこの二年は単なるモラトリアムでかたずけられてしまうよ。だからそれを250枚にまとめなさい。」

「おっしゃりたいことはよくわかります。」

「形にしないと絶対この後君は後悔することになるよ。そこで自分の身の丈を知らなければ、最悪、30代になった時、自分はこれだけ大きなことができる(はずだった)のだという、根拠なき自意識にとらわれることになるのだ。君らにないのは出口でのビジョンだ。まずは自分の成果を形にしなさい。」

そういえば、と私は思い出した。大学に入学する前、芸術家の先生のもとで一枚の絵を描いた。先生はその絵が、将来の自分へのメッセージであるといった。その絵が、というより、その絵を通してかつての私が、現在の私を鋭く見ているのである。そういう自分自身をまなざす何かを、ここでももう一つ作り上げる必要があるらしかった。

同席していたもう一人の人は、こうアドバイスした。

「20代なんて七転八倒していいねん。それは40代になったらしてはいけないことだから。できないことだから。そして、20代でできなかったことを、40代でできるはずがないよ。それからね。企業というところではそういう志もだんだんと消されていくし、残ったとしても、それを実現することはほとんど不可能に近いんだ。」

・・・・・

日本の大学のいけないところは、その研究が社会と断絶していることだ。その断絶をこそ尊ぶ人もいるが、しかし社会との間に大きな溝があるからこそ、研究者は徒労感を禁じ得ないのだ。有機的に大学と社会が結びつく、そういうシステムを作ることは、私の将来の夢でもある。だが夢はまだ、まどろんでいる。

さしあたってしなければいけないことは、社会のニーズを満たすことであり、そしてその満たし方が、私が勉強してきた世界観に基づいて果されることである。それを表だっていう必要はなく、それを誰も気づかない形で粛々と実現すればよい。表面的には普通のことでも、実は裏には違った意図が隠されている、という方法を用いるのだ。

久々に再会した時、彼が真っ先に言ったのは、私の表情が豊かになったということだった。「中央線の君はいったいどこにいったのだ」と彼はいった。彼に言われるまでもなく、私は今年になってからの様々な経験で、大きく意識も体も変わっていた。一つステップを上がったのだということを、今日改めて確認できた。しかし道のりはまだ長いということも再確認した。今はまだ一つ段階をクリアしたところでしかない。まだまだ先はあるようだ。

現代に生まれた私たちの課題は、自らの人生を自己責任のもとで取捨選択するということであり、その選択を、まさに信仰を貫くがように、最後まで成し遂げることである。そういう共通の課題を背負って私たちはこの世に在れている、という気がする。だから実のところ、大学に残るという選択も、就職をするという選択も、全く大差がないのだ。つまり選択するという学び、それを貫くという学びはどちらにでもあるのであって、結果は違えども、そのプロセスで経験する感動は、実はどちらも尊いのである。

windupbirdwindupbird 2010/11/07 03:10 「大学に残るという選択も、就職をするという選択も、全く大差がない」ような社会を実現したいね。残念ながら今のところそうはなっていないと思うので。京都アカデメイアがそのような社会を実現するひとつの力になれば良いのですが。

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