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daisetsuの日記

2010-12-01

感想

20:29

猛烈に恩田陸が読みたくなって短編集を買った。恩田陸ミステリ小説家だが、実は短編は少ない。気の向いたときに一遍ずつ読めるものがほしくて、『朝日のようにさわやかに』をチョイスした。

朝日のようにさわやかに (新潮文庫)

朝日のようにさわやかに (新潮文庫)

正直、やはり恩田陸は長編の方が面白いように感じられたのだが、彼女の問題意識に一つの傾向があるように思われたので、簡単にめもしておく。

・・・・・・・

短編「楽園を追われて」

この短編は、本人もあとがきで説明しているように、珍しく「普通の」話だ。つまりミステリ的要素は全くなく、高校時代の文芸部の同級生男女4人が、居酒屋でだべっているだけである。ここに描かれる男女4人はみな中年、おそらくは恩田と同い年くらいの設定だろう。それぞれ仕事についており、家族もいる。いわば「平均的な」人間である。

ここで恩田が描きたかったのは、まさに「楽園を追われ」た中年の人々である。登場人物の会話は、いっぱしの社会人・勤め人・子を持つ親の擦れた台詞が主なのだが、その奥に、「高校時代は楽しかった」、「小説家になりたいという夢を持って純粋だった」、というノスタルジーが込められている。将来が未知数で、自分は何者にでもなれると純粋に思っていたあのころが懐かしい、というわけである。だが現実はそうはならなかった、と。

途中、今でも小説を書いているか?という話になったあとに、こんな記述がある。

「もちろん、四人は分かっている。自分たちが(小説を)書いたりはしないことを。(…)あれは他愛のない夢だった。経済謀略小説を書いて世界的なヒットを飛ばし、ハリウッドで映画化してもらうとか、物理学者が唸るような超クールで理論的に正しいハードSFを書くとか。こうした話題が、いわばお義理でありお約束であって、この場だからなんとなく口にしていることを」(p. 307)

恩田はよく学校もののミステリを書くが、その<学校>が象徴するものは、外部との接触のない一つの異空間=「楽園」であり、そこを出たいけれども出たくない、というアンビバレントな感情を主題としている(と思う)。ここでは、その「楽園」から出た後の社会人の内面を描いたのだ。そして出た後の彼らは、かつての夢を肴にして、居酒屋でくだを巻くしかなくなっているのだった。

だがこれは、恩田特有の問題意識だ。というより、バブル期に就職した現在40歳代の人たち特有のものではなかろうか。大学時代は気づいたら終わっていて、気づいたら就職していた。そして気づいたら会社で中堅となり、家庭も持つようになっていた。だが内面の時間はずっと止まっている、俺たちはこれからどうしていったらいいんだろう、という虚無感が彼らを支配している。

「学校にしろ、会社にしろ、俺たちは、どんどんあとから来たやつに突き上げられて、追い落とされる。文字通り俺たちは『追われて』るわけだよ。時間に追われ、仕事に追われ、家族に追われて生きる」

こう言うしかない彼らの、ビジョンのなさをけなすべきなのかどうかは、分からない。だが、こう感じている人が少なからずいるということを、先の村上龍のエッセイからも感じることができた。

しかし、個人的に興味を持ったのは、彼らが小説を書きたいと夢見ながら、結局就職して小説を全く欠かなくなったことであり、そしてそれを夢として片づけるしかない状況にあることである。実際に「経済謀略小説」書いてヒットを飛ばし、映画化もされた小説家との違いは、彼らがリスクを取って小説と向き合うことがなかった/向き合えなかったことである。だから結局今では小説を書くことすらなくなり、書いても自己満足でしかなくなってしまう。

生活のためにひとまず就職しとこうという気持ちは、当然湧くものだが、その気持ちがわいてくる原因は、就職したとたん満たされよう。だがそのあと何をするかをはっきり決めておかなければ、いずれこの四人のようになってしまうのかもしれない。就職することが悪いわけではないが、しっかりその意味を俯瞰的に見ておかなければ、えも言われぬ虚無感に、早晩さいなまれることになる。のだろうか。

2010-11-25

村上龍『逃げる中高年、欲望のない若者たち』

20:56

逃げる中高年、欲望のない若者たち

逃げる中高年、欲望のない若者たち

 今の20代くらいの人たちならば、村上龍中田英寿との交流によって知った人も多いはずである。彼らは一緒に本を出したり、テレビでトークしたりしているし、村上は中田を題材にした小説まで書いている(『悪魔のパス、天使のゴール』)。中田が今何をしているかはよく分からないが、もし、自分が何をすべきかをまだ模索している最中だとすれば、村上が本書で描いた日本の状況もまた、中田の状況と同じものに見える。

 本書を一読して特に気がつく点は、村上が現在の日本の状況に対して、どうすべきなのかわからない、とはっきり言っていることだ。

「経済的に豊かになったが、今20代半ばだったらと思うと、どうやって生きていけばいいのか見当がつかない」(pp. 53-54)

「上の世代に対し、尊敬ではなく、怨嗟を抱いている若者は少なくないだろう。若者の多くは無能だから職を得られないわけではなく、国際的な経済状況の変化の中で、犠牲になっている部分も確かにあるからだ。いったいどうすればいいか、わたしにはわからない」(pp. 163-164)

 社会が大きく変わっている、と色々なところで言われる。確かにその変化は目に見えて実感できるものである。だが、ではその変化の先に、どのような社会があるのか、そして私たちはどのように生きるべきなのか、そのイメージは全くわかない。本書を読んで、村上が「わからない」とはっきり言っていることがとても象徴的で、今は本当に先が見えない状況にあることがよくわかる。

 これはもしかすると、社会のほとんどの人々の本音なのではないだろうか。村上自身が「わからない」といっているのは正直意外だが、「わからない」という状況こそ現代の日本にぴったりのように思える。村上は言っている。

「たとえ政権が変わっても、これで生活が良くなると無邪気に喜ぶほど、日本国民はバカではない。わたしたちは、やっと憂うつな真実に気づきつつあるのだ。(…)すべてがうまくいき、すべての人の生活が向上していく時代はとっくの昔に終わっている」(pp. 183-184)

 先が本当に見えないのだという「憂うつ」さ。その「憂うつな真実」からもはや逃げることはできないのだし、そろそろそれと真正面から向き合わなければならないらしい。やみくもに、「日本を元気にする!」とか、「立ち上がれ」と言うだけでは、何も生まれない。まずは、社会がどうしてこのような状況にあるのか、正確に分析することから始めていくしかない。「いったいどうすればいいのか、わからない」ならば、本気で考えるしかないのである。考えるのは、私たちである。

だが、「よい兆しはどこにもない」(p. 185)という村上も、最後はこんなこと書いている。

「日本は、全体としてはひょっとしたらゆっくりと衰退していくのかも知れないが、すぐれた個人が多数現れているので、文化や科学技術やスポーツなど具体的な分野でめざましい成果を上げるだろう。現に、あなたの国でも、覇権をアメリカに譲り、政治経済の疲弊が頂点に達したころ、ビートルズが出現したではないか」(p. 187)

 実は私たちは、これからの社会を作りあげていくという幸運を手にしているとも言えるわけだ。だが、みながみな、ビートルズになれるというのでも、なるべきだというのでもない。私たちが生きているそれぞれの世界で成果を上げること。一人ひとりが担っている役割をきちんと果たすこと。「成功を考えてはいけない、考えるべきは、死なずに生き残るための方法である」(p. 112)。「憂うつ」さを振り払うのに遮二無二頑張るとただ空回りするだけである。今本当に必要なのは、氷のような情熱なのではないか。

 確かに村上の言うとおり、中田英寿がいなくなった後の日本代表の試合は、見ていて悲しくなるものがあった。それは今の代表のレベルが低いということではなく、試合の中でファンタスティックなものを観れるのではないかという期待が、中田がいないことで全く持てなかったことによる。しかし、W杯での試合は、そのような観客の気持を払拭するものであった事は間違いがない。そこには氷のような情熱があった。おそらく中田のような天才はなかなか生まれないが、フットボールが非日常の歓喜をもたらす芸術であることを思い起こすことは、容易にできるはずである。「よい兆し」は、実はすでに表れつつある。

(も)さん

特に問題がなければ、書評の一つとしてHPにアップしていただきたいんですがどうでしょうか。

windupbirdwindupbird2010/11/26 03:02ありがとう!ぜひ書評に使わせてください。また時間あるときに更新作業させてもらいます。龍と春樹が書評に加わって幅が広がるかな(笑)
最近の村上龍は読んでないんだけど、こんな絶望してる感じなの?少し前は「終身雇用制度が崩れて今こそ若者のチャンスだ!」みたいな煽り方してたのに少し反省したのかなぁ。半年くらい前に読んだ新聞のコメントでも結構保守的なことを言っていて(流動化した社会の中でやはり家族や地元は大事だ、みたいな)びっくりしたんだけど。
中田の生き方が象徴的かもね。個人主義→海外へ挑戦→自分探しの旅ときて、最近は日本のいろんな地域を回って日本の良さを再発見!みたいな感じらしいので。http://nakata.net/jp/index.htm

daisetsudaisetsu2010/11/26 11:15よろしくお願いします。そういえばダブル村上になるわけですね。
絶望しているというより、途方に暮れているという感じでしょうか。何したらよいのかはっきりとはわからない感が強く出ているように感じました。保守化してきたのかもしれません。
実はサッカー少年だったころ中田にハマりまくっていたので、中田の動向はとても気になります。色々日本を回っているみたいですが、何をする気なのでしょうね。

2010-11-06

響くものがありすぎた、音色以外に

21:23

魂のピアニスト、フジコ

私生活に迫ったドキュメンタリー

菅野美穂主演ドラマ

そして自伝

フジコ・ヘミング 魂のピアニスト (新潮文庫)

フジコ・ヘミング 魂のピアニスト (新潮文庫)

ここにあとオーラの泉に出演した時の動画も付け加えたいが割愛。

この間その動画を観て感動した。今日はやらねばならぬことをほっぽりだして一日中フジコ一色だった。わざわざルネまで自伝を買いに行ったのだ。

フジコはクリスチャンで、そしてカトリックである。それだけで何か惹かれるものがある。私はクリスチャンではないけれど。

フジコは言っている。

「永遠の命っていうのは、もう・・固く信じてますからね。だから、皆さんに、それを信じて欲しいですね。そういう事を・・。神様は、いつでも見てるし。・・・この世の人生は1回じゃないから。上手く、やんなって言いたいですね」

宗教を生きている人に途方もなく惹かれる。なぜかしら、それも今年になってから急激にそういう志向が高まった。うちはなにも宗教をやっているわけではないし、信心深いけれども別に宗教団体に入っているわけではない。ごく一般的な「日本人」だ。しかし私は彼女の、この信仰を貫くような生きざまに惹かれている。そして確かに、彼女は信仰を貫いたのだ、と言われている。

私にとって信仰を貫くとは。

ため息の中に潜む私の思いは。

2010-11-02

感想

03:13

夜中の二時、四条河原町のバーでカクテルを飲みまくった後にしては、ずいぶんと頭は冴えている。私は今日、東京における恩人と、4カ月ぶりの再会を祝っていた。会話は、予想外にまどろんだ。

私はそこで、初めて彼にドクターには進まない選択をしたことを話した。彼は一瞬顔をしかめた。ずっと私を支援してくれていたのは彼である。それはほとんど雇用関係を超えて、人間同士一対一の付き合いだったのだ。だが、彼は逆上することもなく、私にその考えを改めさせようともせず、一瞬間をおいて、こう話し始めた。

「君のその考えを否定するつもりはない。だが、君は、今君が考えているような将来のビジョンを、最もたやすく実現できたであろう学部卒での就職を棒に振ってまで、京都くんだりまで来て研究という道を選んだのだ。経済合理性から考えれば就職という道はもっとも妥当な道だろう。だが、もし金のことで就職を考えるなら、やめなさい。君をあと数年養うくらいの金なら、私が貸してやる。もちろん将来返すんだよ。でも金銭的なことからそういう選択をしたなら、それはバカらしいからやめることだ。」

私はこう言った。

「私はもともと、大学教授になろうという気はなかったのです。ではなぜ院に進学したのか。それはこれからの社会を変えていくうえで、どういう道があるのか、それをしっかり勉強したかったのです。社会の中でどういう構造的な問題があり、そのために何ができるのか、それをもう少し見極めたかったのです。私は宗教を生きたいと思っている。だから金銭的な悩みというよりも、私という労働力を、もっとも社会に有効に使いたかった。それは学問的な成果を上げることより、現実的に私という身体が使われることによって、社会の変革に貢献したかったのです。金などいらない。私は働く能力があるのに働かない人は嫌いです。また、自分が生きていく分だけ稼げばよいという一見謙虚な人間も嫌いです。働けない人の分までその人が働けばよいではないか。そういう風に考えています。だから就職するのです。」

「君がそういう風に自分で考えたのはそれでよい。しかし私としては、君が院に行って見出したものを形にしてもらうまで、君の就職は許さない。形にできなければこの二年は単なるモラトリアムでかたずけられてしまうよ。だからそれを250枚にまとめなさい。」

「おっしゃりたいことはよくわかります。」

「形にしないと絶対この後君は後悔することになるよ。そこで自分の身の丈を知らなければ、最悪、30代になった時、自分はこれだけ大きなことができる(はずだった)のだという、根拠なき自意識にとらわれることになるのだ。君らにないのは出口でのビジョンだ。まずは自分の成果を形にしなさい。」

そういえば、と私は思い出した。大学に入学する前、芸術家の先生のもとで一枚の絵を描いた。先生はその絵が、将来の自分へのメッセージであるといった。その絵が、というより、その絵を通してかつての私が、現在の私を鋭く見ているのである。そういう自分自身をまなざす何かを、ここでももう一つ作り上げる必要があるらしかった。

同席していたもう一人の人は、こうアドバイスした。

「20代なんて七転八倒していいねん。それは40代になったらしてはいけないことだから。できないことだから。そして、20代でできなかったことを、40代でできるはずがないよ。それからね。企業というところではそういう志もだんだんと消されていくし、残ったとしても、それを実現することはほとんど不可能に近いんだ。」

・・・・・

日本の大学のいけないところは、その研究が社会と断絶していることだ。その断絶をこそ尊ぶ人もいるが、しかし社会との間に大きな溝があるからこそ、研究者は徒労感を禁じ得ないのだ。有機的に大学と社会が結びつく、そういうシステムを作ることは、私の将来の夢でもある。だが夢はまだ、まどろんでいる。

さしあたってしなければいけないことは、社会のニーズを満たすことであり、そしてその満たし方が、私が勉強してきた世界観に基づいて果されることである。それを表だっていう必要はなく、それを誰も気づかない形で粛々と実現すればよい。表面的には普通のことでも、実は裏には違った意図が隠されている、という方法を用いるのだ。

久々に再会した時、彼が真っ先に言ったのは、私の表情が豊かになったということだった。「中央線の君はいったいどこにいったのだ」と彼はいった。彼に言われるまでもなく、私は今年になってからの様々な経験で、大きく意識も体も変わっていた。一つステップを上がったのだということを、今日改めて確認できた。しかし道のりはまだ長いということも再確認した。今はまだ一つ段階をクリアしたところでしかない。まだまだ先はあるようだ。

現代に生まれた私たちの課題は、自らの人生を自己責任のもとで取捨選択するということであり、その選択を、まさに信仰を貫くがように、最後まで成し遂げることである。そういう共通の課題を背負って私たちはこの世に在れている、という気がする。だから実のところ、大学に残るという選択も、就職をするという選択も、全く大差がないのだ。つまり選択するという学び、それを貫くという学びはどちらにでもあるのであって、結果は違えども、そのプロセスで経験する感動は、実はどちらも尊いのである。

windupbirdwindupbird2010/11/07 03:10「大学に残るという選択も、就職をするという選択も、全く大差がない」ような社会を実現したいね。残念ながら今のところそうはなっていないと思うので。京都アカデメイアがそのような社会を実現するひとつの力になれば良いのですが。

2010-09-05雇用①

「雇用」分野のブックガイド作成のため、ひとまず本田由紀の著書を読んでいます。

数冊読んだ段階での感想↓↓

・・・・・・

本田は自らの経験を通して、現在の若者の立場に立った言説を展開する。

例えば、フリーターは当初持ち上げられた存在(cf.90.6.5 AERA「会社に『ノー』と言えるフリーターたち。自由に生きるチャンスが広がってきた」)だけれども、現在はバッシングや軽蔑の対象(cf.01.8.1 AERA 「30代フリーター 夢から覚める日 仕事に結婚、狭まる道の悲哀」)になっている。そうした風潮は現実を捉えていないだけでなく、それ自体が若者のネガティブイメージを拡大して結果的に若者の就労問題を増幅させているという。若者は悪くないのだ。フリーターが生まれる要因は、現代日本の社会構造(ex.新卒一括採用)がよくないし、それを作った世代が悪いのであって、その被害者としての若者が叩かれるのはおかしい、と。

確かに正しい主張である。現在の雇用問題くは、戦後(あるいは戦前)のある時期からできた制度の弊害がもたらす部分が多く、その構造を分析し、新たな制度を作る必要が切に求められている。その意味で、<教育から仕事への移行>に力点を置いて雇用問題を考えようとする本田の研究はそれなりの意義を持つ。

ところが、爆笑問題との対話の中で、本田の欺瞞性が太田によって完全に明らかにされてしまっている(ように見える)。

本田は、「教育から仕事への移行」がうまくできなかった若者に対して、それは企業の採用が減っただけで、若者は悪くないという。しかし太田は、それは「甘ったれ」だし、本田のその姿勢自体が「うざい」という。(本田は、太田のこの主張を「自己責任論」として終始議論していくが、どこかはき違えている)

確かに、構造的に日本の雇用が歪んでいるのは間違いないのだろうが、本田のように企業や政府を切って捨てる刀で、翻って若者を切ることをなぜしないのか、と太田は指摘する。

ある程度の確実性や安心があるような仕組みをなんとか見出そうとする本田に対し、太田はそんなの余計なお世話だと切って捨てるのだ。

「先生は一生懸命俺たちのことを考えてくれて、『つらいだろう』っておもってくれるんだけど、俺から言わせると、先生の方がつらそうだよね」太田

本田自身は厳格な家庭で育ち、がり勉を重ねて東大に入学した経験を持つ。だが、さんざん勉強させられたにもかかわらず、そのあと一回それをチャラにされて、今度はわけのわからない基準で企業に採用されるという、この仕組みに疑問を持ったのだという。

よくありすぎるパターンである。オウムに走った学生もこのような疑問が原因だった。過去自分がしてきたことと、社会との整合性と意味を求め、その結果、社会を否定する。仕事とそれを取り巻く環境に疑問を抱き、批判する。それはある部分では「正しい」が、ひどく偏ったことでもある。

太田が最後に言った言葉は、本田を突き崩すのに十分だったろう。

「それにやっぱり、仕事がなきゃ幸福は味わえないのかって思うんだよ」太田

仕事は人生の多くの部分を占めるが、だからといってその全てではない。本田を含めて仕事に悩む人の多くは、仕事に対し過剰な意味づけを行いすぎているのだ。それはほとんど自縄自縛であり、本田自身もその袋小路に陥っているような感が否めない。

本田は、勝手に救うべき人を想定し、そのための援助をしようとする。だが、語弊があるかもしれないが、その「救うべき人」は、別に救ってもらう必要はなかった。余計なお世話だったのだ。太田は本田のような姿勢は欺瞞にすぎないと言いたかったのである。(対話は終始、本田が太田を誤解したまま終わった)

おそらくこの雇用破壊の状態の中で我々がすべきことは、仕事への依存心を解き、仕事に比する価値対象を見出すことだ。労働に寄り添いながら労働に抗するあり方を、模索していくしかない。雇用破壊を危機と思うのではなく、チャンスと見ながら、雇用の先を見通す力が必要である。

爆笑問題のニッポンの教養 我働く ゆえに幸あり? 教育社会学

爆笑問題のニッポンの教養 我働く ゆえに幸あり? 教育社会学

windupbirdwindupbird2010/09/06 00:14結構本田に辛めの評だね(笑)本田さんが言ってることもよく分かるけどなぁ。逆に太田の発言はやはり強者の論理であって、若者がみんな太田の言うような考えだとも思えないんだけど。しかし両者の言い分とも一理あって判断が難しいところです。
あの番組は最後まで完全なディスコミュニケーションで終わるというなかなか面白い番組だったね(笑)

dissatisfiedpigdissatisfiedpig2010/09/06 16:56本田が論じたいことVS太田が批判したいことのズレ――非常に興味深いです。。。色々触発されてしまいました。

大学の中にいる人間は、基本的に研究者の研究成果を評価するものですが、太田氏は、本田先生の研究成果ではなく本田の一人の人間としての生き方に対する評価をしようとしたのでしょうか。
無論、大学の中でも、真に問題とするべきは、単にその研究者の「対象としたもの・こと」ではなく、「対象」を「対象」に設定した研究者自身の視座の方だとは思いますが。太田の場合は、本田の「研究者としての視座」の問題ですらなく、生き方の問題を問うているような気がしました。本田は太田からの批判が、自分の生き方に向いているとは気づかずに、自分の研究成果(ひいては研究者としての視座)に対する批判だと解釈したからズレていたのではないかと察します。
(実際番組見たわけじゃないから勝手に察するのもアレですが、このシリーズの太田のスタンスは学者の生き方に迫るところにある気がします。全国につながるカメラの前で、初対面の人からいきなり「お前の生き方」を問われるなんて、さすがテレビとしか言い様無いけど(笑))
太田氏でも本田先生の親友でもない人間が「本田の生き方」を問う意味や資格は無いように思うのでそこについてのコメントは控えますが、太田が問題としている「生き方」の話については後々dissatisfiedpigの日記にでも取り上げたいと思います。

「自分がしてきたことと、社会との整合性と意味を求め、その結果、社会に疑問を抱き、批判する」というのは、いまや「ありすぎる」くらい普通のことであって、それを退けられる太田の方が強者というか偏っているというか超越しているような気もしますが(笑)。疑問の提出と既存社会の否定に関して本田論文はかなり有用だったと思われるので、そこから先の社会構想・再構築に関しては本田先生に任せず、本物の若者として考え実践していきたいなと気持ちを改めました。
示唆と刺激に富んだエントリをありがとうございます。

daisetsudaisetsu2010/09/06 19:02>windupbirdさん

コメントありがとうございます!

ご指摘通り、本田に辛めです笑

やはりどちらも正しいことを言っているんですよね。
本田の研究の意義は認めますし、それがもちろん有効だと思っています。しかしどことなく陳腐というか。。学校優等生にありがちというか。

いいのだけれどもう一歩足りないような感じがして、太田のラディカルさが際立ってしまいました。

この対話は本当に最後までディスコミニケーションでした。どちらも仮想敵と戦っているようなそんな感じで逆に興味深かったです笑

daisetsudaisetsu2010/09/06 19:12>dissatisfiedpigさん

コメントありがとうございます!

太田は確かに、本田の研究の背景、動機みたいなものに向かっていっていました。最後に、田中と太田は、本田が面白い先生だったね、と話すんですが、太田はその中で、本田が自らの体験から研究に向かっている先生でとても面白かった、みたいなことを話しています。
ご指摘通り、太田は本田の生き方に対して意見していたのでしょう。

太田は対談の中で、俺らに「就職」なんてなかった、と言います。アーティスト志望の人に就職なんてないんですよね。ゴッホやベートーヴェンが大学で就活したかよって話で(太田はそこまで言っていませんが)。

確かにこれは特殊な例ですし、成功した人間だからこそ言える言葉ですが、けれども、「就職しない」生き方というものがあり得るのだという指摘は、大切にしたいと思うのです。特に今後雇用が収縮していく中で、この視点はとても大事になる気がします。

このあたり、議論を深めていけたらいいですね。