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daisetsuの日記

2011-05-28

オカルティックもろもろ

17:18

・知人が千里眼能力のある人と知り合いになったそうである。そのひとは、◯◯が起こる日が何月何日とピンポイントで分かったり、まあ他にもいろいろできるそうだ(秘密)。

私はそういうのは信じるというか、不思議には思わない人間である。

・このあいだ何故かふと、山本太郎の顔が頭に浮かんだ。あの俳優いまどうしてんだろ、と思ってたら、夜、山本太郎のニュースをネットで読んだ。話題になっていた。

・某書店で『ロスチャイルド原発マフィア』みたいなタイトルの本を見た。震災原発特設コーナーがある中で、その本だけ、精神世界オカルトコーナーにあった。

書店員、よく分かってます。

windupbirdwindupbird2011/05/29 04:29twitterにも書いたんだけど、最近の反原発派の盛り上がりとエコ・スピリチュアル的な宗教はかなり親和性がありそうだね。皮肉るわけではなく、興味深い現象です。原発推進派が「科学」主義、反原発派が「非-科学=宗教」的だなぁと。個人的にはどちらにも乗りきれなくて、なんだかなぁという感じで見ています(笑)

daisetsudaisetsu2011/05/30 13:53確かにそんな感じですね。反原発派には農村回帰、科学技術批判など60年代のムーブメントから引きずったものが内包されている気がします。僕も宗教的なものには興味ありますし(かといってヘンな団体には属してませんから笑)、なんか超越性とかあるいは自然観とかそのあたりが関わって来ている気がします。ただ、陰謀論になると行き過ぎですね。

windupbirdwindupbird2011/06/01 11:28まーそうなるとラディカルな反原発派って新興宗教かオカルトみたいなもんだからもはやついて行けない感じはあります。放射能の危機を煽る感じも自然エネルギーの素晴らしさをことさらに持ち上げて語る様子も、かつてのオウム真理教のサリンとエセ科学に重複して見える。柄谷行人とか中沢新一が言ってることもどんどんオカルトちっくになってるし(そういえば中沢新一は麻原彰晃を擁護してたこともあったんだっけ)。そういう言説が完全に間違ってるわけでもないから難しいところだけれど、個人的にはそういう「宗教的なもの」と脱原発を切り離して考えたい派です。

daisetsudaisetsu2011/07/12 00:43すみません、コメントくださっているのに気がつきませんでした。。一ヶ月経ってしまいましたがコメントバックいたします。僕は百木さんの言う「ラディカル反原発派」の論説はそこまで毛嫌いしません(過剰なものは嫌ですが)。ただ確かに宗教的なものと脱原発は切り離すべきで、ニュートラルに「電力の安定供給」ということを主軸に議論したらいいと思っています。しかし、原発が象徴するものというのがあると思うのです。それこそ、オカルトチックに見えてしまう部分なのかもしれませんが、電力供給というレイヤーではなく、例えば国家・資本というレイヤー、文明史というレイヤーで原発を見ると、柄谷や中沢のような言説が出てくるのだと思います。だから私は原発を広いスパンで考えたい派です。ベーコンの機械論とかも原発を示唆しているみたいで面白いです。それくらいのスパンで考えたいです。

windupbirdwindupbird2011/07/12 02:05文明史的なスパンで原発を考えるということには僕も賛成です。また中沢新一や柄谷行人が言うような意味で宗教の次元まで含めて今後のエネルギーや社会のあり方を考えることも重要だと思います。しかしラディカルな反原発派やエコロジー系の反原発派が行っている言動が、本当に原発廃絶につながるのか、僕には疑問に思えてしまいます。彼らは本当に資本や国家の手強さが分かっているのか。ただ原発が危険だからという理由で、自然エネルギーが地球に優しいからという理由だけで、反原発を唱えているのなら、それはやはり認識が甘すぎるのではないか。彼らが行っている反原発運動は実効的な「表現」ではなく自己満足的な「表出」になっているのではないか。マルクス主義が資本主義の打倒に200年近く失敗し続けてきたのと同じ理由で、反原発派の運動が逆に原発廃絶を阻んでしまうのではないかということが気にかかります。抽象的な言い方になってしまいますが。今度直接に議論しましょう。

2011-05-17

原発社会考―1.1秘密主義社会と判断のゆくえ

22:11

今日は作戦会議お疲れ様でした。

最近mixi原発に関する日記をつけ始めたのですが、こっちにも転載しようと思います。

第一回は、チェルノブイリ事故と現在との比較をもとにした考察です。

__________

チェルノブイリと現在の福島原発の事故後の状況は、非常に(全くと言っていいほど)似通っています。この類似性には注目しておきましょう。

厳密にいえば、チェルノブイリよりフクシマの方がはるかに大変な状況に陥っているのですが、原発事故のあとに人々がどういう態度をとったか、ということにフォーカスすると、どちらもほとんど同じ状況が現れていたのでした。

まず、一般の人々の態度です。

チェルノブイリ事故後、当然人々は事故の概要について無知でした。だから原発事故が起きたと言われても、「事故?それがどうしたの?」という楽観派、無関心派と、「事故?こいつはヤバい!」という恐慌派に二分されました。

これは日本も全く同じでした。事故後すぐの段階では、どちらの方が多かったかはわかりませんが、前者の方がわずかに多かったのではないでしょうか。というのも、ヤバいで!!と発言する人間は袋叩きにあったからです。デマを流すな、と。 

一方で政府は「安全です、心配するな」ということを言い続けます。これも日本もソ連も同じでした。もともとソ連には、重要災害、特に原子力災害については公表しないという慣習がありました。一応ゴルバチョフグラスノスチ情報公開)の原則にのっとって公表するのですが、ほとんどの政治局員は公表に慎重だったのです。

事故後まもなくの頃は、正確な情報がモスクワにも不足していたため、「チェルノブイリ放射能が西ヨーロッパや米国の人たちにまで影響するかのように、西側では作り話を広めている」と非難したソ連の解説者までいました。だが「作り話」ではなかった。日本でも事故後外国人が一斉に帰国した時、過剰反応じゃない??という意見が多かった。だが全く過剰ではなかったですね。彼らの方が正しかったのです。

当時のソ連の新聞記事などを見ると、政府高官と一般人のやり取りが記録されています。不安を訴える人々に、高官は絶対大丈夫、安全だ、と繰り返すのです。これもまたどこかで見たような光景です。

こうなってくると人々の間では、どちらが正しいのかわからない、という状況になります。全く政府の言うことを信用しない人が出てくる。当然ですね。だから本当のデマも出てきてしまう。実際ソ連でもあらぬデマは飛び交ったようです。

ですが私が注目するのは、その一方で、自分は冷静な判断をしたつもりで、政府のトーンに同調する人が出て来るように思えることです。それが大人の態度というように。

これは例えば、先日、福島原発で作業していた60代の作業員が亡くなったというニュースがありました。これに対し、多くの人の反応をみると、「過労だろ、60代だし」という意見が圧倒的でした。その後、心筋梗塞が死因という発表がありました。「ほらやっぱりね」という感じになりました。

本当の死因は私には分かりません。ですが、一抹の不安は感じます。なぜなら、病院それ自体と、電力会社には癒着の構造があると指摘されていたからです。以前から原発作業員に対して、体調が悪くなったらここに行け、と電力会社は病院を指定していました。被ばくによるものではない、と病院に言わせて、労災に持ち込まないためです。「御用病院」ですね。まずはそれくらい疑っていいはずです。

ですがこの時、私たちが取るべき反応は、死因が放射線被ばくか過労のようなものかということではないと思います。過労死だったらいいというわけじゃない。いかに作業が過酷であるかということ、そして作業員の健康を保証する制度が全く整っていない状況に対して、反応すべきだった。原発20キロ圏内に救急車が入れなかったため、救護が遅れた、その事実にまず目を向けるべきだった。つまり、判断や議論が少しずれた方向に引っ張られていた。やや冷静さを欠いた反応だったのではないか、と私には思えます。

そろそろまとめます。

例えば原発はなくすべきだが、電力供給が…という主張があります。それは確かにそうですが、原発を持つことの問題は、そんなレベルの話ではない。

今まで見てきたように、原発を所有している社会、それ自体が、非常に秘密主義的になるということ。原発テロリストに襲われないためなども考慮していくと、必然的に秘密主義になるのです。

そして何か起きたら一般人に本当のことは言わない。知っている一部の人間は、家族を遠くへ逃がす。自分も逃げる。つまり、情報の占有が起きる。それ自体が問題なわけです。それがあらぬ判断を招くし、うがちすぎた見方を招くし、余計に不安を募らせる。そして結果的には政府にとって、保身を図って情報を隠すことが、実は自分で自分の首を絞めていることに他ならない。不信感を増すだけなのです。

これでソ連は崩壊への道を歩みました。では日本は、これからどういう崩壊を見るのでしょうか。

あまりにも似通ったソ連と日本の状況。チェルノブイリの状況を参考にすることで、日本の現状とこれからが見えてくるような気がします。

___________

最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回は「1.2怒れる神、スケープゴート」の予定です。

2011-03-16

千葉にて

22:45

東日本大震災の影響で、京都に帰るタイミングを完全に逸してしまいました。

まだ余震が続く千葉におります。今日も結構揺れました。地元のスーパーやコンビニは、カップ麺や米などが売り切れ、棚がすっからかんになっていたり、ガソリンスタンドに長蛇の列ができたりしています。福島原発の影響で、政府発表によれば「人体に影響のない」「ごく微量」の放射線物質が地元でも確認されています。

京都に帰っていれば関東よりは安全であることは間違いありません。東京駅でも東海道新幹線に乗ろうとする人が多数いるようで、西へ向かう人も増えています。

けれども、どうしてももう少し関東にとどまる必要があるように感じています。

東日本大震災(正式名称はなんだかわかりませんが)は、やはり大きなターニングポイントになりえるような事象だと思っています。これが今どの段階にあるか、もう収まりかけているのか、はたまた連鎖的な災害の予兆なのか、はわかりません。しかし、いまだに余震があり、福島原発の状況を食い入るように注意しなければならぬ地域におり、その他異常事態の発生する現場で、生の体感をしておく必要があると思います。

もちろん、千葉がそれほど大きな被害にあっていないから言える悠長な発言ですが、今後この災害を一つの重要な出来事として考えるには、なるべく近いところにいるのがいいと判断しているのです。

私が阪神・淡路大震災を経験した頃は小学生だったので、正直断片的な記憶しかありません。しかし、あれを間近(震源地付近)で経験した知人(20歳くらい上)の話を聞くと、その体験がのちの人生に大きく影響していることがわかります。彼の人生のど真ん中に被災の経験があり、今の仕事の方向に多大な影響を与えているのです。

今回の大震災も、今後の私の人生に大きく影響を与えるものだと思います。私だけでなく、日本全体、世界全体がなんらかの意味をこの災害に見出すような気がしています。それは、精神世界の住人が半ば面白がって言っている「アセンション」(人類の意識レベルが上昇すること?よく知りませんが)などとは全く別の話です。

例えば、すでにドイツやアメリカなどでは、日本の福島原発の状況をみて、自国の新たな原発製造をやめる動きが出てきています。チェルノブイリのみならず、スリーマイルアイランドなどの原発事故を経験してもなお、原発の製造を進めようといていた各国は、今回の日本の事態によって大きく方向転換をしているのです。今後エネルギー問題に注目が集まるでしょうが、これはモダンなライフスタイルを考え直す機会となっているように見えます。

あれだけ衝撃的な津波の映像、被災地の現状をみると、何も感じない方が不自然なくらいです。今までの我々の暮らし方を問い直せと言われているようかのようです。アウシュビッツ強制収容所体験を経たV.E.フランクルなどにおけるその後の研究内容および人生は、このような感じで生み出されたのかもしれません。彼の人生の核のところにその経験があるのです。

と、大げさに書いてみましたが、ひとまず事態をもう少し見つめたい、そしてもっと深いレベルでこの災害を考えてみたいと思っています。今は小さなところですが、この災害をめぐって最近始めたfacebookの威力を感じたりしてます。

2011-02-17神保町の歩き方①

就活とか就職とか学会とかで、東京に出る機会があればぜひ!!行っていただきたい街が神保町です。

神保町の手引きについてはhttp://jimbou.info/に詳しくでていますが、ここでは、もうちょっと違った歩き方を示してみたいと思います。

神保町は、世界的な古書街です。戦時中もこの町だけは爆撃されなかったという知的宝庫。絶版になった本はたいていここで揃えられるでしょう(もちろん、ここでも無いものはあります)。

私がここで強調したいのは、レアな文献ではなく比較的新しい本を安く手に入れることが可能なのが、この神保町だという点です。

神保町古書街ですが、古本のみを扱っているわけではありません。時たま、東京の古書店では新品を2~3割引で売っているところがあります。どういう経路で書店に並んでいるのかわかりませんが、ちょっとしたアウトレット商品ということでしょうか。古本特有の汚さが全くなく、もはや新品同様(というか新品)の本が、安く手に入ります。古い文献を探している、と言うわけでなければ、新刊書店など行かず神保町へ行くべきです。

例えばこんな感じです…

岡田温司著『もう一つのルネサンス平凡社、2007年、定価1600円(税別)→1100円

・衣川仁著『僧兵=祈りと暴力の力』講談社選書メチエ、2010年、定価1500円(税別)→1000円

アラン・コルバン編『キリスト教の歴史』藤原書店、2010年、定価4800円(税別)→3200円

生協で一割引で買うのがためらわれます。

けれども残念なのは、やはり新品本を扱う書店が限られていることです。基本的に神保町の書店は全て古書店なので、新品本を安く提供する書店は多くて5件だと思います。ちゃんと調べたわけではありませんが。それも、古書を基本に扱いつつ、その合間にふっと新品が混ざっていたりします。

ですので、これぞ、と思う書店を2つ紹介します。

・村山書店http://jimbou.info/town/ab/ab0157.html

f:id:daisetsu:20110217113823j:image

ここは、講談社学術文庫絶版ものを取りそろえていることで有名。ですが、平凡社ライブラリーちくま学芸文庫岩波文庫、それから各種専門書の美本(中には新品)を扱っていることで一押しします。新品率高し!ここは感動します。しかしどーでもいいですが、疑惑として、アルバイトの店員が基本女性のみという縛りがあるとにらんでいます。

田村書店http://jimbou.info/town/ab/ab0101.html

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ここは、基本的に古書が中心です。圧巻なのは、毎日売り出される100円均一の本!ゴミのように売られています。おそらくここで買われなければゴミでしょう。文庫や新書、洋書がメインですが、たまに掘り出し物があります。哲学・思想書はここにずいぶん取りそろえられています。ちなみに店員は男性のみか。新品率は低め。

【補足】

・小宮山書店http://jimbou.info/town/ab/ab0069.html

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新品は扱っていませんが、ここは自分がかなり好きな書店です。アート本が多く、写真集や画集が揃っています。李禹煥の画集がほしいのですが、1万円でした。ちょっと買えません。思想書もかなりあります。一つ一つの本に透明なカバーを掛けてくれている点が◎

ボヘミアンズ・ギルドhttp://jimbou.info/town/ab/ab0147.html

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ここもアート関係の本が中心です。しかし端の方に批評空間のバックナンバーがあったりします。また、80年代あたりのオカルト本が揃っています。思想書も少し。新品はないでしょう。

【補足2】

大体じっくり5件ほど回ると疲れてきます。それに、買った本があるとちょっと腰を下ろして眺めたい気分になります。そんなときは神保町の有名カフェへ。

・さぼうるhttp://go-jimbou.info/shoku/cafe/cafe001_sabouru.html

f:id:daisetsu:20110217120146j:image

店構えは怪しい感じですが、ふるーいお店で料理もおいしいです。オススメはイチゴ生ジュース。

・ミロンガ・ヌォーバhttp://go-jimbou.info/shoku/cafe/cafe003_mironga.html

f:id:daisetsu:20110217120239j:image

ここもふるーいお店。タンゴが流れていて大正時代みたいです。神保町は作家や文化人がよく集まる街らしく、特にこのカフェは編集人や作家とおぼしき人がよくいます。実際、私もここで隣に座った人が金原ひとみだったことがあります。

※注意事項

本好きや院生などが神保町に行くと、欲しい本があふれてきて大変です。気づくと、財布がカラだったりします。さらには、カラになったあと欲しい本が目に付いたりして、お金をおろしに行って帰ってくるとすでに売れていてしまったりして、やーなかなか難儀な街です。神保町。財布とのコミュニケーションが大事です。

windupbirdwindupbird2011/02/19 00:44楽しそう!古本屋大好きなので、こんど東京に行く機会があったら是非行ってみたい。

daisetsudaisetsu2011/02/20 17:11ぜひぜひ行ってください!案内したいくらいです~

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2010-12-11

演習

00:27

世界は変わるものだ、それにつれて世の中が演劇に求めるものも変わっていく、という基本的なスタンスのもとで千田是也氏は、演劇論を述べている。興味深いのは、演劇もそこに含まれる芸術というものが、この世界、現実を表し、さらに芸術作品に触れる者をもそこに参加させる形で、世の中を変えるものだと言っている点である。

「芸術とは、この世界、この現実の正体を実践的なかたちで―とりわけそれを創る人、楽しむ人ひとりびとりの実際行動のかたちで―あらわすことである。(…)(芸術の特色として)大事なのは、(…)自分自身の実践として、-つまり、自分がある立場を進んで自分のものにし、その立場に立った自分(自分たち)の目的や願望をとげるために、自分自身を、世界を自分の手で実際に変えていく行動のかたちで―現実の正体を映しだすことにあるのではないか」(『演劇入門』岩波新書

何かを創り出すということ(もちろん、演劇だけでなくその他の表現を含め)は、世界・現実の正体を表象することである。そして氏が強調するのは、その行為が、創り手はもちろん、受け取る側をも含みこんだ存在であることが必要だということだ。芸術作品として表象されたものが、他人ごととしてでなく自分ごととして捉えられるべきこと。むしろそういったものこそ、芸術であるということ。だから芸術は、他人に向けての行動であり、自分を変え、世の中を変えようとする自分の行動に他人を参加させる行動である、というのである。

この主張は、まず世界は変わるものであり、変えられるものであるという、揺るぎなき前提のもとに展開されている。だからこそ、芸術作品にポジティヴな意味を付加できる。

仮にその前提が認められるならば、芸術はとてつもない可能性を秘めていることになるだろう。世界の現実を自らの感性を通じて対象化し、その正体を公にさらす。その作り手の実践的な行動が、受け取る側をまきこんで世界を変えていく一手になる…。

創り手の世界の捉え方、今後の展望が、パフォーマンスを通じて表現されることで、世の変革になるのだとしたら…!

言うまでもなく、この前提を丸ごと受け入れることはできないし、芸術家によるニヒリズムへの希望的な抵抗だと言ってしまえばそれまでだろう。だが私は、氏の主張に賛同したい衝動に駆られてしまう。氏は芸術と学問を区別しているようだが、やはり学的探求も芸術であり、その成果をことばによって表象するとしたら、それは芸術作品と同じ意味と役割を持つのではないか。

若者の多くは、もしかすると欲望に淡白になり、世界を変えることなどとうの昔にしらけているのかもしれない。それは確かに間違っていないスタンスだし、クレバーな姿勢だろう。だが、その選択の背後にはどことなく老人くささがあり、上の世代を否定したスタイルのように見えて、実は単に自らが歳を取っただけなのではないか。結局その選択の先にはゆるやかな衰退しか見えない、というか絶望である。そうであるなら、氏の言う芸術の本質に、賭けてみるのも一考だと私は思う。